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「日本」と書いてヤマトと読む
以前にも紹介したこれ👇がまた記事になっていたが、興味深い内容なのでもう少し詳しく紹介。
《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説
— 文春オンライン (@bunshun_online) May 1, 2024
記事はこちら↓https://t.co/iRZnS17fCR#桃崎有一郎 #日本史 #文春オンライン
私が見つけたのは、古代中国では一般的な法則である。その法則は日本にも導入されたが、そのこと自体にも、それがどれほど重大かも、気づいた専門家はいないようだった。 https://t.co/muD6iEaINT #邪馬台国
— 月刊文藝春秋(文藝春秋 電子版) (@gekkan_bunshun) May 3, 2024
ヤフコメには桃崎教授が「邪馬台をヤマトと読む」ことを画期的新説として唱えていると誤解した批判が溢れているがそうではない。
この桃崎有一郎という自称歴史学者は、剽窃・盗作ライターか何かか?邪馬台国=ヤマトなんて、内藤湖南が1910年に言っている。内藤湖南説自体、小路田泰直や佐伯有清など、どの本にも書いてる。ここまで邪馬台国の謎界隈は劣化したか、と戦慄を禁じえない (´・ω・`)https://t.co/JH20TSM9Ir
— Alles Sinzo Abes Schuld (@INRISPQR) May 3, 2024
地理については岡田英弘がすでに言ってるし、「ヤマト」読みはすでに鳥越憲三郎が言ってる。なんだかなあ。https://t.co/voXVsUNuS4
— finalvent (@finalvent) May 2, 2024
「古代中国では一般的な法則」とは「〈王朝の全体名に採るべきは、王業が定まった(基盤が確立した)地である〉という命名慣行」のことで、
わが国が積極的に関わりを持とうとした最後の中国王朝である唐まで、統一王朝樹立の直前に諸侯として領有していた諸侯国の名を、そのまま統一王朝の国号に採用するという不文律があった。この不文律では、諸侯国の名に「大」をつけたものが、統一王朝の国号となった。
例えば👇の問いもこの法則によって説明できる。
秦が滅びた後、大戦争を経て漢(前漢)が成立するが、その戦争の中で漢の始祖劉邦は諸侯国「漢国」を領有する諸侯「漢王」となり、中国を統一すると国号をそのまま「漢」とした。
この法則を日本に当てはめると、統一国家としての漢字の国号の「倭」「日本」と旧大和国の読み方が同じ「ヤマト」なのは、王業基盤が確立した地が現在の奈良県だったことを示唆しており、これと「邪馬台が倭の中心勢力だった」「邪馬台をヤマトと読む」ことを合わせれば、奈良県の大和三山付近にあった邪馬台国がヤマト王権へと移行したと推定できるということである。他地域の地方政権がヤマト地方に移動して統一政権を打立てたのなら、「倭」はヤマトとは読まれない。
興味がある人は文藝春秋か論文「邪馬台国畿内説の新証左」を読んでもらいたい。
参考
最も確実なところでは、近江令を修正した大宝令それをさらに再修した養老令において、とくに外交上の用語として「日本」の国号が制定されているといえるだけである。そして、その養老令が公布された養老2年の2年後の養老4年(720)に成った国史の第1書には「日本」の名を冠し(日本書紀)、かつその書中、従来の「倭」の字はすべて「日本」に書き直して、これを「やまと」と読むべきことを注記してあるから、ごく大ざっぱにいっても8世紀の初頭には「日本」の国号が字面的に確定し、かつその読み方は「やまと」であったと言ってよいわけである。
中国でもその時代以後、「日本」という国号を公式に認めて、それまでの倭の呼称を廃し、かつそれから彼国の人の詩文にも多く「日本」の語が用いられるようになったのである。
そして、もとの「倭」は後に「和」の字に書きかえて、和国・和歌・和語・和訓・和製・和英(辞書)などに用いている。また、これに大の字を冠して「大和」と読み、大和魂・大和心・大和なでしこなどの語にも用いる。
一面、畿内のやまとの国にも大の字を冠して大倭・大和ともいったが、今日では「大和」というふうに一定している。
日本の国家統一は大和朝廷の力によるもので、しぜん「やまと」というのが統一国家の総名ともなったのである。ところが、それに対して古くから「倭」の字をあて、さらにこれに「大」の字をつけて「大倭」と書いて「おほやまと」と読んでいたのを、後に「日本」という熟字にかえたまでのことであるから、その当時はもとのままに「日本」と読み、一面、字音では「日本」というようにも読んだことであろう。早い話が日本書紀の書名など、おそらく音よみしたのではあるまいか。
資料1.国号「日本」の読み方について
「自然になった」のではなく、古代中国の命名の法則を適用したというのが桃崎説。