以前にも紹介したこれ👇がまた記事になっていたが、興味深い内容なのでもう少し詳しく紹介。
ヤフコメには桃崎教授が「邪馬台をヤマトと読む」ことを画期的新説として唱えていると誤解した批判が溢れているがそうではない。
「古代中国では一般的な法則」とは「〈王朝の全体名に採るべきは、王業が定まった(基盤が確立した)地である〉という命名慣行」のことで、
例えば👇の問いもこの法則によって説明できる。
この法則を日本に当てはめると、統一国家としての漢字の国号の「倭」「日本」と旧大和国の読み方が同じ「ヤマト」なのは、王業基盤が確立した地が現在の奈良県だったことを示唆しており、これと「邪馬台が倭の中心勢力だった」「邪馬台をヤマトと読む」ことを合わせれば、奈良県の大和三山付近にあった邪馬台国がヤマト王権へと移行したと推定できるということである。他地域の地方政権がヤマト地方に移動して統一政権を打立てたのなら、「倭」はヤマトとは読まれない。
興味がある人は文藝春秋か論文「邪馬台国畿内説の新証左」を読んでもらいたい。
参考
「自然になった」のではなく、古代中国の命名の法則を適用したというのが桃崎説。