ジェンダーギャップ指数を改善する必要が無い理由
世界経済フォーラム(WEF)のGlobal Gender Gap Indexの馬鹿馬鹿しさについて検証する。
GGGIの問題点
GGGIはこのように(⇩)理解されているが正しくない。
ジェンダー・ギャップ指数は、経済・教育・健康・政治の4分野14項目のデータを元にして、各国の男女の格差を分析した指数。各分野での国の発展レベルを評価したものではなく、純粋に男女の差だけに着目して評価をしていることが、この指数の特徴だ。
スコアは1を男女平等、0を完全不平等とした場合の数値。
GGGIの根本にあるのは、「女は男にあらゆる分野で劣位に追いやられていた」という考え方である。「女がどこまで失地回復しているか」を数値化するものなので、男が劣位になる可能性は考慮されていない。仮に、三流フェミニズム小説『パワー』のように、男が女に虐待されてQOLが低くなったとしても、「ジェンダーギャップが大きい→問題がある」ではなく、「"男-女"の差が小さい→男女平等で素晴らしい」と評価されてしまう。
フィリピン(16位)と南アフリカ(17位)は日本(121位)のはるかに上位にあるが、項目別に見ると、女がempowerされているというよりも、男がdisempowerされているというのが適当である。
フィリピンのような階級社会では、潜在能力はあるが貧困家庭に生まれた男よりも、潜在能力は劣ってもエスタブリッシュメントの家庭に生まれた女の方が高い社会的地位につきやすい。また、南アフリカのように犯罪が多発する国では女のQOLは絶対的には低下するが、男はそれ以上に低下するため、相対評価では日本よりも上になってしまう。GGGIは男がdisempowerされるほどが改善する欠陥指標なのである。
現実の男女差(男>女)が、機会不平等の結果なのか、機会平等だが男女で選好が異なるためなのかも考慮されていない。STEM分野(生物・医学系を除く)では、男女平等とされる国ほど女が少なくなる傾向があるが、これもGGGIの考え方では、男女差別がある国ほど高評価になってしまう。
GGGIがバイアスを含んだ公正な指標ではないことは研究者からも指摘されている。同じ罪でも男の方が罰が重いことや、徴兵が男だけであること、労災死の大半が男であること、さらには男女の選好の違いなども考慮しなければ、真の意味でのgender gapは測定できない。
Until now the Global Gender Gap Index, introduced in 2006, has been one of the most established and well-used measures of national gender inequality, used by academics and policy makers across the world
But Professor Stoet argues it does not measure issues where men are at a disadvantage, such as harsher punishments for the same crime, compulsory military service and more occupational deaths. He says the complexity of the Global Gender Gap Index also means it is sometimes difficult to distinguish whether gender differences are the result of social inequalities or personal preference.
WEFはグローバルエリート、グローバル企業の団体なので、GGGIにはビジネスと政治の分野での「出世」を重視するバイアスが反映されている。
For example, the GGGI calculates gender ratios in a way that does not fully capture instances when men fall behind women (e.g., in healthy lifespan). Further, it relies heavily on issues that are often highlighted in women’s rights movements. While those issues are important, they are not the only factors that influence gender inequality. Issues that negatively affect more men than women are not fully considered (see FAQ for more discussion about this). While the GGGI can be useful as a measure of women’s advancement in the areas of politics and employment, it is too biased to one specific gender to consider it a true measure of gender equality (see the original PLOS ONE article for more discussion on this).
この研究者らが開発したBasic Index of Gender Inequality(BIGI)が下のグラフで、マイナスは女優位、プラスは男優位を表す。日本(グラフの赤)はマイナスの大きい順で134か国中28位なので、女が相対的に恵まれた国であることになる。
このような指数はそれぞれの価値観に基づいて作られるので、その価値観を理解せずに「日本は女が抑圧されている」と判断するのは早計である。男と同じになることが女の幸福とは限らないからである。
日本のビジネス・政治の評価が低い理由
ハフポストの記事には
日本が例年、低い順位にとどまっている主な理由は、経済と政治の分野のスコアが著しく低く、いずれも100位以下となっているからだ。
とあるが、その理由の一つは、日本の女が自分がハードワークするよりも、夫にハードワークさせてその稼ぎを頂く生存戦略を選ぶことである。
日本の男は外国の男に比べて妻に支配される傾向が強いので、「圧倒的家庭内政治力を誇る」妻は自分が働くよりも夫を働かせる方がコスパが良くなる。男女を逆にすれば、日本の女は「ヒモ」としてうまくやっていることになる。
もう一つの理由は、日本が人口1億人以上の大国であることである。企業でも、規模が小さければ若手経営者は珍しくないが、世界的大企業になると創業者でもない限り、年季を積まなければトップに立つことは難しい。そうなると、長期間ハードワークに耐える能力と上昇志向の男女差がはっきり出てくる。女のCEOはFortune 500では33人、FTSE 100では6人に過ぎない。
日本では国会議員の報酬が多過ぎると批判されるが、その業務量と忙しさを考慮すれば割に合う仕事とは言えない。日本の女は合理的なので、そのようなコスパあるいはワーク・ライフ・バランスの悪い仕事をわざわざ選ばず男に任せているのである。
Callan, 47, was appointed CFO just nine months before the firm filed for bankruptcy in Sept. 2008. She said her life gradually became entirely focused on her work, edging out friends’ birthday parties and time with her husband – and having children.
女の政治家の活躍の例として、最近ではフィンランドの首相が34歳の女になったことが注目されたが、それ以外の党首も若い女である。
マリンが率いる中道左派の連立政権に参加する他の4党は、党首がいずれも女性で、そのうち3人は35歳以下。左派連合がリー・アンデルソン(32歳)、緑の党がマリア・オヒサロ(34歳)、中央党がカトリ・クルムニ(32歳)、スウェーデン人民党アンナ・マヤ・ヘンリクソン(55)だ。
社会民主党とリベラル派は今、岐路に立たされている。今年4月のフィンランド国会議員選挙で社会民主党は最多得票を得たが、得票率はわずか17.7%。2位の極右フィン人党の得票率は17.5%で、差はないに等しい。選挙後の世論調査では、社会民主党への支持率が下落し、フィン人党に逆転されている。若くて人気のあるマリンが次期首相に選出されたのは、そうした危機感のせいもある。
言葉は悪いが、客寄せパンダが井戸端会議か町内会に毛が生えたレベルのままごと政治をやっているようなものである。常識的に考えればわかることだが、日本はこのような経験の浅い政治家が運営できるような国ではない。フィンランドを称賛している人たちは、日本の国政を30代の男たちの連立政権に任せる気になるだろうか。
ニュージーランドのアーダーン首相が子連れで国連総会に出席したことも、西洋リベラルの劣化の表れである。女の社会進出が、女が家庭内のマイルールを公的空間に持ち出して好き放題に振舞い、公私のけじめが失われる結果になっている。女には規律に従った大規模な階層集団を形成する傾向が乏しいことが、このような内輪受け狙いと無秩序化を招いている。
公正に実力で選ぶ→厳しい出世競争→女が少なくなる
女を多くする(クォータ、パリテ)→公私混同・政治の劣化・カオス化
というトレードオフである。フィンランドとニュージーランドは人口約500万人の小国なのでこのような政治ごっこが許されるのだろうが、日本ではお遊びは許されない。
ビジネスや政治の質と女の登用はトレードオフなので、落ち目の日本にはGGGIの改善に現を抜かす余裕はない。このような馬鹿げた指数は無視するに限る。
フェミニズムの基本的目標のひとつは、公平さである。つまり、男性でも女性でも同じ適性とモチベーションがあれば、与えられる成功のチャンスは平等であるべきだということだ。このことについてはまったく疑う余地はない。だがそれは、現実に男性と女性とが平均して同じモチベーションをもっているということにはならない。したがって、社会のあらゆる分野で男女が等しく活躍するというのは、必ずしも期待すべきではないのである。