![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36140058/rectangle_large_type_2_973b1231c690aac3bef42b5a668bb3d9.jpeg?width=1200)
【与えたら与えられる?】一般的な解釈と、全く異なる解釈を解説しました
要点まとめ
「見返りを求めずに与えることでより幸せになる」という考え方をご紹介します。「自分は相手に尽くしているのに、相手は全く応えてくれない」という悩みを抱えている方におすすめです。
与える者は、与えられる
今回は、「与える者は、与えられる」の基本と上級者向けの意味について解説します。
また、はじめに言っておきますが、基本が悪くて上級が良い、という意味ではありません。
何事にもステップがあって、段階を踏んで行く事が成長する事だと思っています。
大切なのは、現在地でいることに終わらず、より豊かになる事を目指して学び続ける事だと思っています。
「与えるものは、与えられる」の二つの解釈
さて、「与える者は、与えられる」という言葉は、おそらくほとんど皆さんが聞いたことがあると思います。
ただ、この言葉の意味の解釈には、実は、基本と上級で大きな違いがあります。
基本の解釈は、「何か人に良い事をしたり与えたら、あとで自分にも回り回って良いことが返ってきますよ」となります。
そして、なかなか踏み込まれていない、本当に深い意味としての上級の解釈は「何か人に良い事をしたり与えることは、自分にとって喜びや幸せだ」というものになります。
この二つの解釈は一見似ているようで、実は全く違います。
基本から上級に行くためにクリアしなければいけないポイント
ここでまず、注意して欲しいのですが、基本から上級に行くには、たった一つですがクリアしなければならないポイントがあります。
そのポイントは、「自分が満たされているかどうか」ということです。
このポイントをクリアされている方はすでに幸せを感じていると思いますが、そんな方々が、今より発展的で、自分や周りの人がもっと幸せになるために、上級の解釈が絶対に必要になってきます。
まず、自分が満たされている状態を少し説明しておきます。
満たされていると、こんな事を思いません
自分に対して、
・誰かより劣っていて惨めだ、恥ずかしい
・何かしら不幸せだ
・何かしら不運だ
・自分の人生は所詮こんなものだ
基本的な思考として、自分の幸せを確かめるために「自分と誰かを比較する」という事がありません。
それによって、ホッとしたり、誰かを妬んだり、誰かより自分はつまらない存在だと思ったりする事がありません。
また、誰かの幸せを心から喜べたり、もっと人のために何かしたい、と思う瞬間も多いと思います。
自分で自分を卑下したり諦めたり虚勢を張ったりなどマイナスの状態にいるのではなく、ゼロ地点以上にいて、自分は自分だと感じています。
この「自分が満たされる方法」もすごく重要ですので、今後、別の動画で詳しく解説したいと思います。ぜひ参考にしてみてください。
基本と上級の違い ①「誰のために」与えるか
基本の解釈は、「何か人に良い事をしたり与えたら、あとで自分にも回り回って良いことが帰ってきますよ」この解釈が、一般的な解釈としても広まっていると思います。
上級の解釈は、「何か人に良い事をしたり与えることは、自分にとって喜びや幸せだ」
この二つの最も大きな違いは、「誰のために」与えるかという点です。
基本解釈では、良い事をしたら「自分」にも良い事がありますよ。
つまり、「自分のために」なるので与えよう、という視点を持っています。
上級解釈では、誰かに何かを与える、それ自体が、自分にとって喜びを与えられることと同じ事です。
つまり、純粋に「誰かのために」何かすること自体が、自分にとっての喜びなのです。
そしてそれによって相手が喜んだり幸せになると、自分の喜びや幸せも、より一層増します。
しかし、相手が喜ばないと自分の喜びが生まれないのではなく、相手のために何かしていること自体が人間としての喜びだということです。
基本と上級の違い ②「何を求めているのか」
そして2つ目の違いは、「何を求めているのか」という点です。
基本解釈では、人に与えることで、やはり「返ってくるもの」「自分が与えられるもの」を望んでいます。
つまり、最後には「自分が満たされること」を求めているんです。
ここで、最初にお話しした、基本から上級に行くときにクリアしなければいけないポイントを思い出してください。
やはり、人は「自分が満たされている」状態でないと、自分ではなく人に何かを与える事がとても難しいです。
自分が満たされていないと、人に与えるより自分に与えたい、自分が損するのは嫌だ、という考えが出てきてしまうからです。
対して、上級解釈で求めているのは、相手の幸せです。
自分には何も求めていない、ただ与えたい、というところが、基本解釈との大きな違いになります。
基本の解釈から得られる幸せの限界
次に、「自分が満たされている」ポイントをクリアしている人は、基本解釈に留まらず上級解釈に進むと、なぜもっと幸せになれるのか、解説します。
それは、「与えたら与えられる」の基本解釈だけでは、得られる幸せに「限界」があるからです。
これは、とても重要なことなのですが、今を幸せだと思いたい多くの人が、目を背けがちです。
ですが、きちんと知ることで、より幸せになれるので安心して楽しみながら聞いてください。
実は、二つの要素が、幸せに限界を作ってしまうんです。
一つ目は、感謝の限界です。
初級解釈では、与えられたものに対して、深く感謝できない、ということです。
なぜそうなるのかというと、返ってくるから与えよう、という状態で与えていると、与えられたものに対して、「当然返ってきた分」として感じてしまいます。
そうすると、相手の思いを「喜んで受け取る」「感謝する」ということが減ってしまうのです。
二つ目は、喜びの限界です。
つまり、「与える喜び」を感じることができない状態になります。
なぜなら、与える理由が「与えられたいから」「与えられないのが嫌だから」だと、そこに、相手の幸せが望まれていません。
その状態だと、自分に何か返ってきて、相手も自分も良かったなと喜ぶことはあっても、それは与えられた喜びです。
もし自分に返ってこなかったら、相手の幸せを喜ぶこと、つまり相手を幸せにするという与える喜びを、心から感じることが難しくなります。
つまり「与える喜び」は「無償の喜び」とも言えます。
この二つの限界を超えて、より幸せを深めて行くために必要なのが、上級解釈です。
上級の深さ
上級の解釈をおさらいすると、「何か人に良い事をしたり与えることは、自分にとって喜びや幸せだ」。
ポイントは
・純粋に「誰かのために」何かすること自体が、自分にとっての喜びであって(喜びの限界突破)
・それによって相手が喜んだり幸せになると、自分の喜びや幸せも、より一層増します(感謝の限界突破)
上級の解釈では、二つの限界を超えることができるので、幸せに限界を作ることなく、より一層、自分も相手も幸せになっていけます。
まとめ
長くなってしまいましたが、今回の内容をまとめます。
自分が満たされている状態で、与えたら与えられるから動くのではなく、何かを期待して何かするのではなく、人をただ幸せにしたいから、ただ与えたいからどう動くのか、ということが、実は限界のない幸せに繋がっている。
▼You Tubeでもより豊かになれるポイントを共有しています。
▼麻生大策に直接学びたい方はこちら。
▼LINE公式に登録いただくと、
特典として《ZOOM相談会》に参加いただけます!!登録はこちら。