このままランナーとしてのプライドを捨てるのか
2015年の静岡マラソンがフルマラソンのデビュー戦だった。
はじめてのフルマラソンこそ、4時間50分ほど要したが、そこから4時間を切り、3時間半を切り、3時間15分を切り、ベストタイムは3時間8分台までもってきた。極めて順調に。
サブスリー(3時間切り)を目標として公言しても恥ずかしくないタイムまできた。
本気でサブスリーを狙っていた。
そこで、コロナのパンデミックが起きた。
毎年コンスタントに3〜5本、全国のシティマラソンに出場する生活は、ただただ、近所のマラソンコースを気分で変えるだけの味気ない日常に塗り替えられた。
マラソン大会なんて、不要不急の代名詞みたいなものだ。
レースでしか培われない強さがある。
フルマラソンを走ったことがある人は分かるかもしれないが、フルマラソンは25km〜30kmで一気に疲労感が襲ってくる。
それまで軽快に走っていたのが嘘のように1kmを進むのが、一歩足を出すのが辛くなる。
フルマラソンは「もう無理!」と思ってからの10数キロをいかに粘れるかゲームである。と思っている。
この部分を練習で追い込むのはなかなか難しい。
レース結果をSNSで報告する自分としては、無様な結果は晒したくない、応援に応えたい、称賛されたい、そんな邪な気持ちが「もう無理!」と拮抗してくれる。
そんなレースの経験が、コロナ禍の不要不急の大号令のもとふっ飛ばされた。パンデミック明けの東京マラソンは感慨深いものがあった。
神楽坂、蔵前、大手町で応援してくれた友人、仕事の仲間の声援には涙が出た。
結果は3時間33分。
こんなタイムで納得する自分ではない。
コロナ禍で試合勘が鈍っていた、そんな負け惜しみが浮かんだ。
その翌年(今年)の大阪マラソンは、3時間26分、北海道マラソンは3時間43分とかつての自分では信じられない、亀か!?と思うタイムを叩き出す。
北海道マラソンは確かに厳しいコンディションだった。暑かった。
それを言い訳にした。
練習も充実させ、体重コントロールも成功し、満を持して臨んだ横浜マラソン。
3時間38分。無念。
でも、何故か完走の充実感で満たされてしまった。それをSNSに投稿した。X、Facebook、Linkedinの仲良しさん達は称賛してくれた。3時間38分は市民ランナーの上位20%以内。確かに早いは早い。
でも、、、そして、言い訳すらしなくなった。
もっと早く走れるはずの自分の幻影をちらつかせることなく、「ライスラン!」「早いですね!」そんな声に感謝を伝える。まんざらでもない。
負け惜しみも言わなくなった時はもう、戦う気力もなくなった時。
自分に戦う気力がなくなっていることに気付く。
何者でもない自分に自信を与えてくれたマラソン。
上位20%では納得出来ない。上位5%を維持してこそ。
あわよくば上位3%を狙いたい。
まずは負け惜しみを言う自分を取り戻す。
窮した時に猫を噛む鼠でありたい。
人や社会は、いまよりも、もっとよくできる。
あなたの思いとスキルで、もっと未来は変えられる。
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