(NOT)哲学的落語断章 第2回 見知らぬ、文脈
こんばんは、久我宗綱です。さて、それっぽい挨拶を考えてましたが、あまりにも瀟洒で機知に富んだ美麗な表現であったため、皆さんにはお見せしないことにしました。というわけで早速本題に移ります。
今回は前回に引き続き「謎解き」について考えていくことになっています。今回まず取り上げるのは「小倉船」という上方落語の演目です。先にあらすじから見ていただきましょう。太字箇所がサゲです。
小倉から下関への渡し船でのお話。男が海に財布を落としたと騒いでいます。乗り合わせた商人がガラスでできた大きなフラスコを持っており、それに入れてもらい、海の中へと参ります。落とした財布を見つけるも、フラスコの中からは手が出ない。悔しくて地団駄を踏むと、ヒビが入り、そこから海底へ真っ逆さま。浦島太郎と間違えられて竜宮城で遊んだり、そこへ本物が現れて一転追われる身となったりと海中大冒険。珊瑚の畑を抜けて歩いていると、そこに駕籠屋が現れる。大阪までいくらか聞くと二分だという。なかなかに安い。しかし、その駕籠屋、外見を見てみれば髪が長くて、顔も赤い。人間かと聞いてみれば猩々だという。
「猩々か。……折角やけど、よう乗らんなァ」
「なんでだんねん」
「駕籠賃安うても酒代に高つくわい」(1)
お分かりになられただろうか。正直なところ分からないのではないだろうか。
このサゲを理解していただくには「猩々」と「酒手」というものを知っておく必要があるのです。まずは「猩々」だが、まぁ一言で言えば架空の動物ですね。今回のイラストにあるのがそうです。能に「猩々」という演目があったりしますが、そこの内容でも分かるように日本では酒好きの獣として扱われています。
続いて「酒代」(2)であるが、これは現代語に直すとチップです。広辞苑には「人夫・車夫などに与える心づけの金銭」 とあります。
つまり、「謎解き」としては以下のような形となります。
謎:二分と安いのに何故乗らないのか?
答え:駕籠かきが酒好きである猩々なので酒手が高くなるから。
やっとお分かりいただけただろうか。分かってください。お願いします。
もっとも、この噺には上方落語特有のハメモノがふんだんに入っているということや芝居仕立ての演出などの魅力などもあるのだが、この連載ではサゲにフォーカスすることになっているため、いつかまた別のときに語らせていただこう。
これは演者側にも今節なかなか伝わりにくい噺であるという認識があるようだ。今年の1月に桂米團治師匠の口演を聴いた時には、終わった後幕を下ろさずに解説を入れていたくらいでした。それでも雰囲気がぶっ壊れなかったのは技量でしょうな。
さて、ここで一つ興味深い事例をご紹介しましょう。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの著作『笑い』の岩波文庫版の訳者解説で紹介されているエピソードである。ベルクソン自体の笑いへの分析はこの連載で追って紹介することもあるかも知れないので、今回はそこには触れないでおきます。
訳者がこの本を木下圶太郎氏に贈呈したところ、木下氏は「ベルクソンが試作の材料として引用した古典文学に全く無知なため、『笑い』を読むのはあまりにむずかしく、参ってしまう」といった旨のことを随筆に書いたのだとか(3)。ここから、訳者は「ベルクソンの『笑い』を読むには、モリエール、それにできることならラビーシュの芝居に通暁していなければならぬ」 (4)と述べている。笑いへの分析である『笑い』が知識無しには理解が難しいということがあるわけで、これが笑い自体にも起こるのだ。分析なおもて難解であり、況やそのものをや、である。
落語の話に戻るが、歌舞伎・文楽あたりの知識が求められる噺は種々あるんです。その一例として、「抜け雀」を紹介します。某国民的人気漫画で名前が出たことがあるので、タイトルに聞き覚えがある方もいらっしゃるかも知れない。あらすじだけだが、少し読んでもらいたい。
東海道は小田原の宿、小松屋清兵衛という宿屋がございました。ある時そこにみすぼらしい格好をした男が泊まります。案の定金を持っている訳もなく、絵師だというその男は宿賃の代わりとして衝立に雀の絵を描き、決して売ってはならんと言って立ち去ります。
あくる日主人が雨戸を開けたとき、なんと衝立から雀が抜けて飛び立つではありませんか。話を信じないおかみさんに見せると、またしも雀が絵から抜けて出ます。
その絵が話題になり、人が押し寄せ、宿屋は大繁盛。小田原の城主大久保加賀守公からは千両で買うとのお話も。ところが約束のため売ることが出来ず、主人は悔しがります。
ある日、その絵を見せて貰いたいという老人がやってきます。老人が絵を見て、「この雀は死ぬ」と言いました。それでは困るという主人に、老人は鳥カゴを描き添え、去っていきました。その話で絵はさらに話題になり、殿様からは二千両の値が付きます。
そのまたある日、立派な身なりの男がやってきて、自分はあの絵師だと言います。主人は絵に千両の値が付いた話、そして老人が鳥カゴを描き添え二千両に値が上がった話をします。男はその話を聞くと絵の前に飛んでいき、絵の前に跪き、この鳥カゴを描いたのは自分の親だと語ります。
「父上、不孝の罪は幾重にもお詫びを申し上げます」
「何をおっしゃる、不孝やなんてあんた。絵に描いた雀が抜けて出るほどの名人におなりになって、何の親不孝なことがございますかいな。」
「いや、不孝ではあるまいか。現在親に駕籠をかかせた。」
これに関しては、「ああ、なるほど。親に駕籠を描かせたということに、親を駕籠かきにしたという意味をかけているのかな。確かに駕籠かきをやらせるというのはあまり親孝行なことでもないものな」と納得されるかも知れない。実際、東京での「ぬけ雀」はそのような型で演じられている。
しかし、本来はもう少し違った意味があるんです。この噺のサゲは『双蝶々曲輪日記』六段目「橋本」に出てくる「現在親に駕籠かかせ」(5)というセリフとかかったものなのだとか(6)。「なのだとか」などと偉そうなことを言っているが、筆者は「橋本」は歌舞伎・文楽ともに観たことがない。そもそも、この演目自体は現在でもちょいちょい上演はされているのだが、二段目「角力場」・八段目「引窓」の上演がほとんどなので、機会がないんです。
「歌舞伎上演データベース」で探してみたが、「橋本」は1946年10月京都南座での上演しか見つからなかった(7)。ちなみに「角力場」は2022年10月の平成中村座、「引窓」に至っては、先月、つまり2023年1月の浅草公会堂新春浅草歌舞伎第二部が一番最新の上演である(8)。
一応文楽の方も見ておくと、2014年11月国立文楽劇場での上演が最新のようです(9)。歌舞伎の方に比べりゃ最近ですが、それでもほぼ20年ほど前でですからねぇ。(ちなみに「角力場」は2014年11月と「橋本」と同公演、「引窓」は2022年9月国立劇場小劇場での上演が最新(10)。)
これほど上演のない演目だと、教養として知っておけというのも無理があるほどに感じますね。巷で流行るキョーヨーとしての古典芸能というコンセプトの是非の話はしません。
さて、話を戻します。
「抜け雀」の場合、『双蝶々曲輪日記』を知らなくてもサゲとしてある程度理解できないことはない。しかし、『双蝶々曲輪日記』を知っていた場合、あるいは後に知った場合、サゲの効果は何倍にもなるのである。いや、これが本来の効果というべきなのかも知れない。
このように笑い、特に「謎解き」型の笑いには「聞き手に謎が解かれていることが伝わらない」という問題がついてまわるのである。
では、我々は「笑い」を理解するためには前提となる文脈を全て踏まえている必要があるのだろうか。
よく落語は「聞き手の想像力によって成り立っている」と言われる。これは噺家一人が扇子と手拭いのみで様々なものを表現し、観客もそれを存在するかのように鑑賞するため、このように言われるのだが、これだけではないと私は考えます。
過ぎてしまった昔の時代の言葉・常識や自分の知らない伝統芸能を前提とした話が進んでいくのに対して、ストーリーの進展や使われている文脈からそれがどのような意味なのか考えることが求められ、それによって成り立っている部分もあるだろう。
「小倉船」で言えば、「酒代」を知らなかったとしても、「これは何かとかけているのかも知れない」と想像することはできるだろうし、そこから「もしかしてチップみたいなものだろうか」と至ることもできるかも知れない。あきらめないで頑張ってください。ただぼんやり聞いていればよいというものでもないのです。
このような「分からない単語の意味を想像する」というのは受験英語なんかでも使われるテクニックだったりするわけで、一部の人には懐かしいものかもですね(11)。
また、分からないながらにも観客を納得させる演者の技量というのもここで必要なエッセンスだと思うんです。枝雀(1993)においても、「納得のいかないサゲでも噺家の説得力に客が負けることがある」ということが語られています(12)。要は聴き手に「これはこういうものなのだ」と思わせられるか、なのです(13)。話術の問題と言えるかも知れませんね。
そして、この二つが最高最善の形で揃ったとき、「謎解き」によって生み出されるユーモアは他の型を超えるパフォーマンスを発揮する、のかも知れない。しない時もあるかも知れないけど。
「謎」があり、その解決が提示されることによって、ユーモアが生じるというという一見シンプルな型である「謎解き」にも、実は一つの障害があり、そしてそれが乗り越えられた時、そこには新たな地平が待っている。今回はそんなことを知っていただければ幸いです。次回はそろそろ別の型についても見ていこうかなと思います。それではまた!
今回の参考口演
桂米朝「小倉船」
桂米團治「小倉船」(2023年1月8日桂米團治独演会にて公演)
・参考資料
小佐田定雄『米朝らくごの舞台裏』ちくま新書、筑摩書房、2015年。
桂枝雀「緊張の緩和とサゲの四分類」、『上方芸能』第68号、1980年、p. 10~15。
桂枝雀『らくごD E枝雀』ちくま文庫、筑摩書房、1993年。
黒石陽子校注・訳(竹田出雲(二代目)・三好松洛・並木千柳作)「双蝶蝶曲輪日記」、鳥越文蔵、長友千代治、大橋正叔ほか校注・訳『浄瑠璃集 新編日本古典文学全集 77』小学館、2002年。
新村出編『広辞苑 第六版』岩波書房、2008年。
永田義直編著『古典落語事典』、緑樹出版、1988年。
瀧口雅仁『古典・新作 落語事典』、丸善出版、2016年。
ベルクソン(林達夫訳)『笑い』、岩波文庫、岩波書房、1938年。
マシュー・M・ハーレー、ダニエル・C・デネット、レジナルド・B・アダムスJr.(片岡宏仁訳)『ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由』勁草書房、2015年。
桂米朝「小倉船」『特選!!米朝落語全集 第三十七集』、東芝EMI株式会社、TOIZ-5114、1992年。
桂米朝「ぬけ雀」『米朝珍品集 その三』、東芝EMI株式会社、TOCZ-5045、1989年。
・脚注
(1)米朝、1992年、解説書より引用。
(2) 『広辞苑』、2008年、p. 1105。
(3)林達夫「ベルクソン以後―改版へのあとがき―」、ベルクソン(林達夫訳)『笑い』、岩波文庫、岩波書房、1938年。p. 211。
(4)林達夫「ベルクソン以後―改版へのあとがき―」、ベルクソン(林達夫訳)『笑い』、岩波文庫、岩波書房、1938年。p. 211~212。
(5)黒石、2002年、p. 259。
(6)小佐田、2015年、p. 198。
(7)歌舞伎公演データベース、https://kabukidb.net/show/2425#section2(2023年2月18日閲覧)。
(8)歌舞伎公演データベース、https://kabukidb.net/search?pid=12770(2023年2月18日閲覧)。
(9)文化庁デジタルライブラリー、https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/plays/view_detail?division=plays&class=bunraku&type=prog&ikana=ふたつちょうちょうくるわにっき&ititle=双蝶々曲輪日記&istart=0&iselect=ふ&mid=200120&seq=0&trace=result&trace=detail&did=33307657(2023年2月18日閲覧)。
(10)文化庁デジタルライブラリー、https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/plays/view_detail?division=plays&class=bunraku&type=prog&ikana=ふたつちょうちょうくるわにっき&ititle=双蝶々曲輪日記&istart=0&iselect=ふ&mid=200120&seq=0&trace=result&trace=detail&did=33322556(2023年2月18日閲覧)。
(11)この年になって受験英語の話などしとうないのですが。いつまでもセンター試験の点数の話をする人間みたいで、何とも言えない味わいがあります。
(12)枝雀、1993年、p. 58~59。
(13)電。
(文責:久我宗綱/絵:manpowerspot)
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