なぜあなたはそんなに幸せな環境にいるのにやりたいことをやらないの?
色々と話題になったパリオリンピック、17日間の全ての日程を終え、8月11日に無事終了しました
こんな奇跡の一枚の写真が運営の公式アカウントで投稿されて話題になっていますね❤️
日の丸がハートに変身!なんともポエムです😍
閉会式では、次期開催地のロサンゼルスへ五輪旗を引き継ぐため、トム・クルーズが颯爽と登場!という話題で締めくくりました
オリンピックに出場した選手の方たちは勝っても負けても、言われなき誹謗中傷を受けながらも、最後まで頑張り、本当にお疲れ様でした
しっかりと心も体もリフレッシュして次の目標に向かって頑張ってください!
さて
国内ではオリンピックの誹謗中傷だけでなく、素性を明かさずに行きすぎた「正義感」を振りかざして、人の揚げ足をとる謎の人物が増殖中ですね•••
そんな人たちをホリエモンこと堀江貴文さんがバッサリ切り捨てた投稿が話題を呼んでいます
人を叩く風潮もほどほどにしなければ、未来に希望ももてませんよね•••💦
そんなに他の人のことを悪く言ってばかりいると、いずれ言っている本人の周りにいる人たち離れてしまいますよ〜
本当、残念な人たちですよね•••
ところで、今回のnoteは長めのタイトルにしています
これは一冊の本から引用させていただいたフレーズです
この本のことは最後で紹介していますので、ぜひ一度ご覧ください!
ということで、今回の週末noteは、環境が整っていてもチャレンジをしたがらない人に贈るお話です
最後までお付き合いのほど、よろしくお願いします<(_ _)>
■恵まれた環境にいることを忘れている
去る8月15日に第二次世界大戦が終戦してから79回目の戦後を迎えました
第二次世界大戦末期から終戦後にかけて、その日の食べるものも苦労したと伝えられています
そんな状況下では、一握りの裕福な家庭はあったとはいえ、多くの日本人は今では考えられないほどの貧しい暮らしをしていました
そういう時代だったので、みんなはお金持ちになることを夢見て、仕事に精を出す人たちが多かったのです
映画「Always三丁目の夕日」をご覧になられた方はそのスクリーンに流れる光景が、正しくその時代の日本でした
いまの時代、モノに溢れかえっていて、無いものを探す方が難しくなっており、若い世代は生まれた時からそういう環境で育ちました
だから、その恵まれた環境が当たり前の状態になっています
しかし、貧困国と呼ばれている国に行くと、いまの環境が当たり前ではないことが目の当たりにされます
「今」を生きれるかどうかという状態なのです
前回のnoteで芸人のやす子さんの投稿を紹介したように、「生きてるだけで偉い」のです、そしていまを生きていることが奇跡なのです
■夢を持てない時代に生まれて
恵まれた環境に生まれ育っていてもその環境が当たり前であるため、隣の芝生は青く見えてしまうのか、自分が劣っていることばかりに目を向けてしまいます
次には、自分が恵まれていないことを嘆き、そして恵まれていないことや自分ができない理由を探し、その理由は親や周りの人、社会が悪いと自分以外に責任を押し付けます
第二次世界大戦で日本は敗戦国となって、そこから高度経済成長期を迎え、日本は世界トップクラスまで押し上がりました
これは敗戦から立ち直るために多くの日本人が、世界に追いつけ追い越せと一丸となって駆け上がったのでした
この時代には夢と希望があったと考えています
しかし、いまの時代、大きな夢と希望が持ちづらい社会になっているのは確かです
戦後間もない時代といまの時代の大きな違いは、その日を暮らすことができるかどうかという環境と、身の回りに何もかも揃っている環境で育っているかどうかの違いだと思っています
いまの時代に夢と希望を持つためには、ある程度のハングリーさ(=飢え)が必要なのだと思います
簡単に手にいれることができる夢や目標は達成したら終わってしまい、それ以上のこと達成感や満足感を味わえなくなってしまいます
だから簡単に達成できない夢や目標を持つというハングリーさが必要なのかもしれません
■失敗を恐れていては何もはじまらない
しかし、やりたいことがあるのにチャレンジしたがらない人があまりにも多いような気がします
その背景には、失敗の経験を積まずに完璧なゴールを目指そうとするあまりに、失敗を恐れ避けようとする風習があるからではと”Pro Bono さの”は思っています
Z世代と呼ばれる若い世代に特にこの傾向が強いみたいですが、チャレンジしない人は失敗もしない代わりに、何も得ることはありません
何も得ることがないということは、何のために「生」を受けたのかがわからないので、結果的には自分の人生を失敗させているとも言えるでしょう
16年前の北京オリンピックに出場した元プロ野球選手のG.G.佐藤選手が準決勝で落球した時に数多くの誹謗中傷を浴びたそうです
帰国後も精神的に追い込まれ、一時期、外出もできなかったそうですが、この状態を救ってくれたのは、野村克也さんのこの一言だったそうです
この言葉をきっかけに何事もポジティブに受け止めようとマインドリセットしたそうです
何事も経験をして、失敗してもそこから何を学ぶか、それをどう未来に活かすか、本当はそれが最も大事なのです
■誰の言葉が響くのか
冒頭にもお話しましたが、いま、素性を明かさずにオリンピック選手やプロスポーツ選手をはじめ有名人などに、行きすぎた「正義感」を振りかざして誹謗中傷する人が増えてきています
言っている本人は「正論」と思っているのかもしれませんが、素性のわからない人の話を誰が信用するでしょうか?
素性のわからない人のために、自分を犠牲にして信用する意味があるのでしょうか?
先ほど紹介したG.G.佐藤選手ですが、色々と経験もされ実績もある、あの名将、野村克也氏からの言葉だったからその言葉を受け止めることができたのだと思います
色々な経験をした人の言葉には重みがあります
誰かの話を引用したうわべだけの言葉にはその重みがありません
だから経験することが必要なのです
失敗を避けようとする人は「自分は失敗したことがない」という自慢をし、他の人から「すごい」と言われたいのでしょうか?
人は、他の人から「すごい」と思われたいという「名誉欲」に駆られます
でもそれは人として評価されているのではなく、自己満足の世界です
言葉の重みもない無責任な発言を「正論」と言い、自分勝手な思い込みを人にぶつけるのはこの「名誉欲」があるからではないでしょうか
それだけ自分の「正論」に自信があり他の人に発信したいのであれば、自分の経験してきた「正論」をその「正論」の情報を求めている人に提供すれば、もっと世の中はよくなるのではないでしょうか?
自分の暮らす街や国をよくしたいと思うのであれば、実践すべきだと思います
今回、このテーマで書かせていただいたのは、山口絵理子さんの「裸でも生きる」という本を読ませていただいたことがきっかけでした
彼女がバングラディッシュで働く人たちが誇りを持てる仕事をつくる目標を実現するため、奔走したことが書かれています
日本で生まれ育った山口さんがバングラディッシュの人に言われた言葉を今回の週末noteのタイトルに使わせていただきました
人は恵まれた環境にいても、どんなに叶えてきた夢があっても、なかったことにして、自分だけ恵まれていない、自分だけ辛い目に遭っていると思いがちです
山口さんの本は、そういう思い込みを吹き飛ばしてくれる一冊です
”Pro Bono さの”のキャッチフレーズでもある「チャレンジは未来を変えるイノベーション」にも通じるのかなと思ってしまいました
失敗することが悪いのではなく、失敗を恐れてチャレンジしないことが人生最大の失敗なのです
他の人を誹謗中傷する前に、自分自身チャレンジャーとなって誹謗中傷する原因を解決してみましょう!
※参考にした文献