
決裁会議というのは決裁者のための会議である
おはようございます。2024年9月26日です。
雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)です。
昨日、こういうメモを書いた。
決裁会議は、決裁者が決裁するための会議であって、みんなで決める会議でも、決裁者に決めてもらう会議でもないのである。
いやそれ以外の何?という人も世の中には多数いらっしゃるとは思うのだが、そうではない認識で捉えている人もそれなりに多い気がする。
かくいう自分も、以前であればそう考えていなかったかもしれないし、現状社内でそのように会議に対峙しているとは言い難い(決裁者としてでなくても)。
当然と思っている方には何の価値もないことだと思うが、自分の考えを整理するためにもう少し補足する。
決裁会議には、「決裁者」が存在する。
(決裁会議に限らず、会社のあらゆる案件には社長から担当者まであらゆる決裁者が存在する。)
会社の会議においては、国会のような「合議」は基本的にない(あえていえば「取締役会」はそうかもしれない)ので、会議の参加者は「決裁者(一人)」と「それ以外」である。
なので、まずもって「みんなで決める会議」というのが、通常の会社における決裁会議には存在しない……はずである。
(先述のように、参加者が基本同格となる取締役会はやや異なるかもしれない。)
そんな決裁会議を何故開催するかというと、「決裁者が決裁するにあたって、その参考となる意見を聞くため」でしか考えられない。
基本的に決裁者というのは、その案件に対する決裁権を持っている人ということになるので、別に自分ひとりで決めて良い。その権利がないなら決裁者とは言えないし、だからこそ決裁会議において、最終的に決めるのは多数決ではなく決裁者の役割である。
本来は自分が決めれば良いことなのだが、とはいえ、その判断を下すのにもう少し情報や意見が欲しい……という場合に機能するのが「会議」だ。
決裁者が提示する案件に対して、各分野の専門家が意見を述べ、議論を戦わせる。それらを聞いた上で、最終的な判断を(決裁者が)下す。
それが「決裁会議」のあり方だろう。
そのように考えると、決裁会議の案件というのは、基本的に決裁者がコントロールしていなければおかしなことになる。なぜなら「本来自分一人で決めれば良い事について、わざわざ他者の意見を聞く」場というのが決裁会議の役割になるからだ。
決裁者が決めれば良いことなら、さっさと決めてしまえばよいのである。決裁を求める側もそれを望んでいて、別に会議が必要な訳では無い。
この判断は慎重を期して他の意見を聞く必要がある、と決裁者が判断した案件だからこそ、決裁会議の議題になるのだ。
一見合議に見える取締役会なども、参加者それぞれに定められた決裁範囲があるのだから、それぞれが判断するにあたって、「他の取締役の意見も参考にしたい」と考えた議題が提示されていると考えればよいのかもしれない。(現実は知らんけど。)
さて、そうなると、決裁会議は「決裁してもらう会議」でもない事が明確になる。決裁してもらいたい担当者が相手にしているのは、あくまでも決裁者個人だから、会議など本来関係ないのだ。会議を必要としているのは、決裁者の方であって、決裁して欲しい担当者ではない。
もちろんその案件について一番詳しいのは担当者だから、会議で他の参加者に改めて説明するのは担当者でも良いだろう。ただ、決裁にあたって何が論点で、何について意見が欲しいかは、決裁者が明確にする必要がある。それがないなら自分一人で決裁できるからだし、それがあるから会議を開催しているはずだからだ。
そんなわけで、決裁会議というのは、
「みんなで」決裁する会議ではなく、
「担当者が」決裁してもらう会議でもなく、
「決裁者が」決裁のための意見を収集する会議
だと思うのである。
……そうなっていると良いなぁ。
本日は以上です。