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選挙がもたらすもの

おはようございます。2024年7月17日です。
鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)初日です。


朝日新聞PodcastのIOK会で、今回の都知事選でのポスター問題を取り上げていて、伊藤さんのコメントになるほどと思った。確かにそんな輩には投票せずに落選させればよいだけの話で、もちろん当人も当選など考えていなのだろうが、であれば供託金も没収されるぐらいの得票数にしてしまえばよいだけの話ではある。

どうやったらこうしたある種のモラルハザードを「制度的に」防げるかとついつい考えてしまったのだが、そういう反射的な制度改革の話は、むしろ権力側につけ込まれるだけであろう。

もっとも、透明性という視点であれば、その意図や儲けなどは取材して明らかにして欲しいとは思ったりもする。ようは「けしからん話」ではなく「ダサい話」として取り上げればよいだけのことだ。


笑ってしまったのは、こうした「選挙で稼ぐ」というのは昔にもあった話で、別に画期的なアイデアでも秀逸なハックでも何でもなく、ただの二番煎じに過ぎなかった事だろうか。

そうしたアイデアを発掘してきたのであれば、それなりに頭が良いということかもしれないが、根底の発想が変わっていないあたりが普通に浅ましいし、そうした過去の事例を知らず自分の発想が画期的と思っているのであれば滑稽である。

案外その気になれば誰でもたどり着く発想ではあるのだろう。一時でもそれをなるほどアイデアだなどと思ってしまった自分を恥じてしまったりもする。


今回の都知事選は、珍しく選挙公報などにも目を通したりした。政見放送まで見る余裕はなかったのだが、正式なアーカイブなどあれば見てみたい気もする。特に当選者の政見放送などは、公約との結びつきも含めて、改めて見られるようになっていると良い気もするが、自分が知らないだけで公開されていたりするのだろうか。(調べてない。)

実際のところ、自分の一票が社会に何某かの影響を与えるということはないのだろう。ただ、こうした事を通して、自分が何を考えているのか、どういった社会を望んでいるのかを自覚する事が、自分の身の回りのちょっとした社会を変えていくきっかけになっていくのかもしれないとは思ったりする。


ちなみに同じく選挙について取り上げていた#ふなで、両名が投票した相手を挙げていたのだが、自分も同じだったりした。

こうした「誰を支持したか」を、遠慮なく語れることの方が、「けしからんから制度を変えよう」という議論よりも、ずっと健全であるのかもしれない。

正直、一定の得票数は得ているのだから、なぜ投票したのか、なぜ支持するのかという事の方が、よっぽど大切な話ではある気がするのだ。


本日は以上です。

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