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「出来る」「出来ない」の呪縛。それを解く簡単な秘密があると知ったら?

これはこれまでに瞑想やイメージワークに通われていた、とある何人かの方々のお話をもとにしたものです。なかなかに多いお話かもしれません。

「出来る」と「出来ない」のふたつの間で

「出来る」あるいは「出来ない」という二つの間で苦しくなることって、案外多いんですよねって、とある彼女は言いました。

さらに詳しく聞いてみるとあらゆることにおいて「出来る」「出来ないか」という世界観の中にその方はずっと生きていて、日常のすべてがそのどちらかになるということに、とても緊張し続けているということでした。

「こっち」か「そっち」という二つしかない中で、そのうちのどっちなのかを常にハッキリさせないといけないんだという、強迫観念に似たものがもう当たり前に自分の中にあるんだなと、今更ですが気付いたのです、というお話をとある彼女はしました。周囲にある多くの意見を参考にして決めてしまいます、と言う方もいらっしゃいました。

「出来ない」は良くない

とあることが「出来る」のか「出来ない」のか。そう考えている時、感じている時には、おそらくは大体が「出来ない自分」を否定したり落ち込んだり、そんな自分を責めている時が多いかもしれません。良くないことが起きているという気持ちになってしまったりするかもしれません。

いつか理想の何かが「出来る私」になりたくて、だけど時間が経過した時にそうなっていない自分が居て、その繰り返し。
とあることが「出来るようになりたい」っていつもそう思ってきているのに現実はそうなっていない、そんな自分をいつも見る度にそれが「出来ない自分」にずっと困らされてるような気持ちにさえなってしまう、そんな自分がいます、ということも話されました。

「そうじゃなくてもいいはずだとは思うのですが、考えを変えることもなかなか出来ません。気が付いたら「出来ないなぁ」って思ってしまっているんです。」
もう打つ手も無いんです、と言わんばかりに、大きなため息が出ます。

実は大丈夫。なんとかなるんです。

でも、これもどうにかなるのです。大丈夫なのです。
もう打つ手も無い、というわけではないし、自分を諦めるなんていう必要もいらないのです。
ただ、知らなかっただけなのです。

「ただ、知らなかっただけ?」

何を?

目の前にある現実をどう見たらいいのか、ということをです。わかりやすくお話ししていきましょう。


「出来ない島」から「出来る島」へ 

例えばイメージしてみてください。

「出来る」という名前の島
「出来ない」という名前の島

その二つが海に浮かんでいます。
大きな広い海にはこの二つの島だけが存在しています。
この島のどちらかを常に選ぼうとしているのがこれまでの自分でした、ということです。選ばなければならなかった、という方が近いかもしれません。

何かある度に「出来る」「出来ない」の両方の島を交互に視界に入れては「出来ない」の島の方を選択してしまう。だって現実出来ていないのだからしょうが無い、「出来ない」方しか選ぶことなんて出来ないじゃないか、という具合にです。きっとそれは自分の中において「間違っていない正しい現実」だからなのでしょう。現実を正しく見て判断した結果、だったのです。

さらにその正しさは、どこかで覚えて学んできたことになるでしょう。自分で考え出したものでは無いはずなのです。私たちは、見せられて受け取って飲み込んで覚えてきました。たくさんのことをそうやって飲み込んできています。それは自分の血と肉になってしまってやがて「そのように考える、そのように見る、私」というものを作ってきました。どういうことになるのか、どういうもものを作っているのか、そういうことも知らないまま、わかってなどいないままにそうしてきているということが、私たちにはあまりに多く存在しています。

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さあ、船をだそう! 出航だ! 

さて、ここでお知らせです。
先ほどイメージしていただいたこの「出来る」「出来ない」の二つの島は離れたいますが、船によって結ばれています。行き来が可能になっています。
ご存じでしたか?

自分が今いる島を出て船に乗って向っていくと、だんだんともう一つの島へと近寄っていくでしょう。すると、もうひとつの島の方からは離れていくということになります。
船が海を進んでいくことで、これから向いたい島により近寄っていくのです。
例えば、より「出来る」島の方へと近寄っていくということは、言い方を変えるなら「より出来るようになっていく道を選んでいる自分」ということになります。

この船が自分です。
どんな船を描きましょうか。
好みの船をイメージで描いてください。

自分が「出来る島」を選んだなら、選んで航海に出たなら、自分はより出来るようになっていくという航海をしている最中なのです。
近所であるなら半日とか一日で到着するかもしれません。この近所の日帰りの旅は占星術では双子座が象徴しているものです。

大きな目標であるならばあるほど、それは長く大きな航海になるでしょう。天候の急変によるハプニングや海賊にも出会うかもしれません。渡り鳥たちや、大海原をゆく鯨、イルカの群れに出会うこともあるでしょう。日帰りできない遠方への旅は占星術では射手座が象徴しています。

これまではおそらく現実の捉え方が、知らない間に固まって岩のようになってしまっていて「出来るか」「出来ないか」のその二つのどちらかしか存在していなかったのではないでしょうか。
そのふたつのうちのどちらに自分は居るのか、ということばかりが常に気になってしまっていたこれまでがあったということを振り返ってみましょう。

これは「出来る」「出来ない」かしかこの世にはない、という呪縛です。

いかがですか?
それって、これからもまだ必要でしょうか?

必要なんだ、という方にとっては、本当にまだ必要です。必要ですから無理をして手放そうとしないでください。手放す必要はありませんから、持っていましょう。もう要らないかな、もう手放そうかな、という気持ちになる体験が必要です。自分がそう思えた時、その時がベストなタイミングです。

「出来る島」「出来ない島」のどちらかに着地する必要があるということをやって来ている自分がいたのだとしたら、それは船で向っていたということだったのでしょうか? 空中からぽんっと自分をどちらかに置くかのように、あるいは置かなくてはならないということだったのでしょうか? 自分をどちらかに必ず所属させなくてはならないのだ、というように。

今度は「出来ない」という島から船で航海に出た風景をイメージしてください。「出来る」という島に向って旅を始めています。これはより「出来る島」に近寄っていく旅をしている船の風景です。少しずつ「出来る島」へと近付きます。
これは「より出来るようになっていく過程」を進んでいる自分という船が進んでいる風景と言い換えることが可能です。船が目的地に向って日々進みゆく光景がそこに存在しているということは自分が目的に向って進んでいるということと同じことだ、いうことをイメージの中で体験してみましょう。


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常識から外れることがもたらすもの、がある

それしか見えずそれしか考えることが出来なかった自分が、他のことを見て考えられる自分になるということは、簡単に言うと「別の方向からものごとを見る」ことが出来るようになるということです。
別の方向からものごとを見るというのは、今の自分にとって思いもよらない方向ということですから、それは例えば占星術でいうと「90度」という角度からの視点です。これは外側の思わぬ方向からやって来た衝撃と言うこともできます。その衝撃によって気が付いてしまった、という状態が起きることが私たちの人生には時折発生しています。衝撃を悪いこととして捉えることも可能ですが、そのおかげで新しいことに気が付いてここからをより逞しく歩いて行けるという意識で捉えることも可能です。片方では無く、これはどちらをも自分で選ぶことの可能な自由選択です。

全く新しいことを「考え得る」状態を自分に起こすことが、混沌とした答えの出ない状態にようやく「光り差す」という状態になるでしょう。

子供たちは喜んで脱線していきます。どちらかの島に所属しているのかということには見向きもしません。
またさらに目指す島に到着することよりも、船に近付いてくるカモメに魅入られ、クジラを追いかけ、イルカと一緒に海の中を旅します。自分が海賊になっちゃう子もいます。他のまだ見たことの無い島を探しに冒険しに出かけていく子もいます。

私たちもいつかは子供でした。全ての新しい出会いは宝島のようだったかもしれません。体験することのすべてが、体験することそのものが目的なんだっていう場合だってあっていいでしょう。
いつだっていつになったって、もう遅いということはありません。
立ち止まって何かにほんの少し気が付けたなら、それだけで、もうそれは新しい冒険の始まりなのかもしれないのです。

さあ、今度は自分の船で。


写真と文 sanae mizuno
https://twitter.com/SanaeMizuno

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