「夢の中でさえ自由に飛べない」
今回も性的な内容を含みます。シスヘテ男性が書くということも含めて、苦手な方はブラウザバックしてください。
ちなみに今回のタイトルは、私の好きな歌手のKOTOKOさんの曲『ε~Epsilon~』の歌詞からです。
現実が嫌いな私は、妄想の世界に逃げる。
昔から妄想が大好きだった。現実は美しくないから、私なりに美しい世界を描いて、やっぱりこういう世界がいいなあと逃げ込んでいた。
性的なことを覚えてから、性的な妄想をするようになった。性的なことは私にはあまりにも遠くて、妄想の世界に憧れるほか手がなかった。
妄想の世界を美しくするために、私は不要だった。私なんかがいたらストーリーだって制限がかかるし、自由に弄ぶことができる架空の美しい誰かがその世界の住人だった。
最近、妄想が下手になった。
その世界の住人も、その世界の美しさも、所詮私の作り出したものでしかないことを、思い出すようになった。
私が何を美しいと思い、何を良しとして、どんな妄想に興じるか、ということを、私が検閲するようになった。
妄想で作り出す私の世界の美しさは、私だけの確信を失い、積み上げることができなくなった。
私が良しとしてきたものは、いったい何に支えられてきたのだろうか。
私が感じる心地よさが、何の上に成り立っているのか。
そういうことを考えるようになったら、もう妄想の世界は終わり。
私の妄想と欲望は密接だから、私が自分自身の欲望に恐れを抱いた頃に、妄想にも影響が出たのは当然だったんだと思う。
妄想の方が現実よりも自由なものだと思っていたけど、現実の方が豊穣で、私を越えてくるものだと気づいたし、妄想の自由さはもう約束されないから、妄想には期待できない。
だからといって、現実に対処できるほど丈夫でもない。私はどこにいればいいんだ?
私は妄想に現実が入り込むのを怖がっていたけど、妄想が現実へとはみ出していかないように、結局現実を介入させることとなった。もう自由には飛べない。
でもせめて、美しく飛べるようになりたい。現実との重ね合わせのなかで、また美しさを手にして、新たに飛べるようになりたい。
そのためには、何が必要なのだろう。