「ハイパーセクシャルカルチャー」
今は高橋幸さんの『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』という本を読んでいます。
タイトルから分かる方もいるかもしれませんが、ポストフェミニズムについての本です。フェミニズムの思想をある程度認めながらも、もはや男女平等などは達成されておりフェミニズムは不要となった、というのがおおよそのポストフェミニズムの意味です。
この本の副題は『ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』で、ポストフェミニズムが重視していると思われる「女らしさ」についてもこの本は取り上げています。第一章が「英米におけるポストフェミニズム」、第二章が「日本のポストフェミニズム」となっており、今のところ第一章まで読み終わりました。
この本の全体の感想は今度書くとして、個人的に気になったフレーズがあったのでそれを紹介します。
第三章「恋愛とフェミニズム」において、「ハイパーセクシャルカルチャー」というフレーズが登場します(p.62)。これは、「女性の自発的な性的過激化を促す文化状況」を指します。
フェミニズムの立場では、こうしたハイパーセクシャルカルチャーは女性の「自発的な」選択という形をとって、従来と同じではないにしろ「新しいジェンダー体制」を構築することで、社会的な圧力や性別役割を維持強化させてしまうものと見なされ批判されるそうです。
私は「ハイパーセクシャルカルチャー」という概念があることをこの本ではじめて知りましたが、その一方でほんの少し納得するところもありました。
「ハイパーセクシャルカルチャー」という言葉は知らずとも性の解放に前向きな状況は知っていて、私自身も誰にでも性を権利として行使することができるべき(もちろん性行為を行わないことも行使の在り方の一つ)だと思っていました。
その一方で現代では安心してこれを行使できる状況とは言いがたいのでは、と感じてもいました。半信半疑ほど疑ってはいませんでしたが、「九信一疑」くらいは気にはなっていました。
だから、「ハイパーセクシャルカルチャー」という言葉をもって批判がなされていることは少し膝を打つところがありました。
全くの蛇足ですが、「ハイパーセクシャルカルチャー」は女性の性の過激化を促すということを知ったときに、じゃあその状況下で「シスヘテ男性」はどうしたらいいんだろうなーって考えてました。この状況を「しめた!」と思って謳歌するのは違うよねー?
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