ポリアモリーってめっちゃ普通
『ポリアモリー 複数の愛を生きる』読了。
感想を一言で書くなら「普通のことしか書いてない」ってなもんだった。
これは否定的な意見ではなくて、ポリアモリーというものが如何に普遍性を持っているかが分かるという意味である。
もちろんポリアモリーの実践者たちとのフィールドワークから得られた、実態というものは大変興味深いものである。その人たちのことを少しでも知っていることは、自分がこれからポリアモリーについて考える良い土台となるだろう。知らないでイメージだけで語るよりも、知っていることを大切にすべきだ。
ただ、ポリアモリーの実践者たちが大切にしていることは、ポリアモリーの世界に適合するようにそれなりの進化をしているにしても、あまりにも普遍的な話だった。モノガミーであっても大切にされるべきことしか書かれていない。繰り返しになるが、これはこの本を否定しているのではなく、むしろモノガミーの人が当事者性を持って読めることを意味している。
ちなみに、ポリアモリーとフリーセックスの境界を明示するためだと思うが、倫理・哲学的な話も出てくる。フーコーが出てきてビックリした。私はその辺りには明るくないので、「ふーん」という感じだったが、筆者はポリアモリーとフリーセックスが別物であることは強調することも一つ重要視しているようだし、ポリアモリーの実践者たちもその線引きを意識したい人もいるっぽいのでこの本には必要な箇所だったのだろう。「愛」を「性」の上位に見ている感じがするのは気になるけど、筆者がそう思っているのかいないのか、ポリアモリーの実践者たちがそのあたりを考えているかはよく分からないので、今回はあんまり深く考えないでいよう。
ポリアモリーについて、当事者じゃない私からすれば、「嫉妬」については大変興味深い。結論から言えば、ポリアモリーの実践者たちも、嫉妬する人も普通にいる。全く嫉妬しない人もいるようだが、嫉妬する人も、ポリアモリーを実践することができる。
基本的にポリアモリーの実践者は、より良い関係を構築するための努力を惜しまない。嫉妬という感情が立ち現れたとき、その感情を分析し、その感情が意味するものを考察する。その考察は、より良い関係を築くにはどうすれば良いのかのヒントを与える。その考察は当人だけで行われるとは限らず、むしろパートナーとの相談によって行われることが推奨される。自分が求めることを洗い直し、パートナーとの関係に潜む問題を洗い直すためにこそ、嫉妬は活用される。
この本では、所々で筆者はモノガミーの実践者たちに疑問を投げ掛けてくる。ポリアモリーの例から、モノガミーの実践者たちも学べることがあるのではないか、と目配せしてくる。モノガミーでいることは、現状マジョリティと言えるが、むしろだからこそ、マイノリティのポリアモリーの人々よりも愛や人間関係についての考察を行っていない可能性が高いのではないか。
『ポリアモリー 複数の愛を生きる』は、ポリアモリーについての本でありながら、モノガミーの人々に語りかけている本でもある。愛や人間関係について、誰にでも重要な視座足りうることを学べる良書だと思う。
尤も、この本を読んだ私が愛や人間関係について悩み続けるであろうことは、あまり大きな声で言いたくはないのだが。