なぜ人は孤独になると(個人的な宗教)に走るのか?
デュアルサバイバル
ディスカバリーチャンネルの「デュアルサバイバル」という。 サバイバルチャレンジ企画の番組が面白くて最近よく見てるのですが、
このサバイバル企画 (デュアルサバイバル )は
元軍人のサバイバルの専門家と
自ら好んで野山に入り原始的な生活( ブッシュクラフト的な生活。[ナイフと最低限の装備のみを持って野山に入るようなキャンプ])を 好む、
原始的なサバイバルの専門家の 二人のサバイバルの専門家が、「 番組が用意した サバイバル知識が必要な危険なシチュエーションから 脱出する」という リアリティーショーのような番組なのですが、
なぜか(合理的ではない)個人的な宗教[思想]をいだくようになる。
この番組を見ていてよく思うのが 、
自ら望んで野山に入り、 原始的なサバイバル生活を好むサバイバリストは、 よくわからない個人的な宗教観を持っているということです。
ディスカバリーチャンネルの別企画の (The Naked)でも、 サバイバルの知識豊富な(シャーマン[自然の精霊に祈りを捧げる人])が 出演したりしているし、
このデュアルサバイバルでも、
自ら望んで野山に入るサバイバリストの コディは、 どんな環境でも短パンと裸足というスタイルを崩さないという 個人の強いこだわりを持っています。
( 固いトゲの生えた植物がたくさん生い茂るジャングルで足に切り傷をいっぱい作ってもも、地面が猛烈に熱を持つ砂漠でも、 短パンに裸足というスタイルを貫きますw)
こだわりを貫きすぎた結果
そして、 デュアルサバイバル・シーズン4で 出演者の1人のコディが、 こだわりをつらぬきすぎてケンカになります。
このエピソードを見た時に、 人は厳しい環境で 目標を達成しようとするときに [何かしら精神的な支柱になるような 個人的な宗教や思想]がないと、
厳しい環境で自分の精神を強く保つことができないのではないのか?ということを思うことがあります。
個人の哲学も決して悪いことばかりではないのだけれど……
個人の哲学を持つことは 決してマイナスばかりではないのだけど、 周りの人間と積極的にコミュニケーションをして 自分の思想が 自分が周りとうまくやっていったり、楽しく生きていく上で 問題があるようであれば、柔軟に方向性を変えることが必要であるということを思うことがあります。
結局、周りの人と対話するということが大事だということを感じましたw
(画像出展:ディスカバリーチャンネル[デュアルサバイバル])
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原始的なサバイバルの専門家について、もう少し詳しく書いた記事はこちら↓