【プリズンライターズ】名古屋刑務所の暴行事件が発覚し、私が望むもの
受刑者の目に痣があったのをキッカケに調べ始めたとはいえ、それが外に洩れたことに、まず驚きました。
皆さんには、この事件がどのように映っているのでしょうか。
暴力は明らかに不当です。その超えた一線ばかりにフォーカスが行っていますが、それはたまたま表面に現れた枝葉の部分であり、思慮すべきは職員さんと受刑者との対立構造に根源があると思います。
私は、受刑20有余年を数える初入の無期囚ですが、これまでにいろいろな施設を経験した同衆の過去談をまとめてみますと、他所でも表向きは従順なふりをしていたとしても、やはり腹中では少なからず歯噛みをしたことがあったようで、全国的に広がる根深い構図のようです。
古くは、「オダベン」という刑務官が受刑者にものすごく厳しい処遇をしたのは有名な話で、ここではとても書けないほどの逸話を何度も耳にしています。もしお時間がありましたら検索してみてください。
職員さんは刑務官に採用されますと、まず研修を受けます。
そこでは受刑者になめられないように、強圧的な態度をとることを教えられ、受刑者を呼び捨てにし、所長を頂点とする体育会系ヒエラルキーの最底辺に組み込むことを学びます。
先述したオダベンの教えが時代とともに変化と緩和をしつつも、脈々と受け継がれているそうですが、流れをくむ派閥がある事も受刑者間ではよく知られています。
ある職員さんから教えてもらったのですが、オダベンの写真をお守りかブロマイドの様に持ち歩いていた先輩職員がいたそうですから、その教えを無条件で是とする方にとっては神的存在だったに違いありません。
閉塞社会では往々にして昔のままの慣習が残りがちです。私はこの研修こそが、根源の一つに思えます。
ましてや成果を求められる民間でもないため、抱いた疑問を改革するよりも、任期を無事にやり遂げる方が優先されたとしても仕方がないような気がします。
それに受刑者は例外なく社会で何らかの一線を越えており、油断のならない猛獣という見方をされていたとしても、残念ではありますが、否定できるだけの説得力ある立場にない事は承知しています。
また、刑務官は世論や民意、そして被害者感情を加味した戒めを代行する役割をも担っているため管理運営を含めて強迫的態度を用いている事情も理解できない事は有りません。
ですが一方、その戒めこそが正しく更生に結びつくという教育を受けたがゆえに、経験の浅い職員さんならアンガーマネージメントすら覚束ず、売り言葉から買い言葉・・・暴言から暴行への一途をたどったとしてもそれはむしろ必然です。
勿論、暴言と暴力の間には理性によって越えがたい一線があり、決して暴行は容認できないけれども、洗脳ともいえる教育を受けていると思えば暴力をふるった職員さんよりも根源に目を向けるべきです。
職員さんから「特に若い奴らはなめられていると思ったら報復するから気をつけろ」「職員も人間だから・・・な」こんな助言を何度かもらったことがあります。
善意そのものでおっしゃって下さっているわけですが、裏を返せば、感情一つで国家権力を乱用できる体質を意図せず露呈してしまうほどそれは特別な事ではないのです。
私のような、仮釈放でしか出所できない無期囚は生殺与奪権を握られているのと同じで、それはまるで核をちらつかせるどこかの国家元首に通ずるほどの恐怖を感じます。
そんな職員さんと相対して取れる態度と言ったら、恐れるか、従順なふりをするか、そして今回の様に歯向かうか、おそらくこの3つくらいなもので、いずれにしましても更生意欲を駆り立てる感情とはかけ離れていると思えます。
これは私の場合の話ですが、服役の年数を重ねるごとに、自然と事件を振り返る様になりましたし、いたたまれない気持ちが増し、とにかく生きなおしたい、そのために何をすべきか考えることがあります。
律したり、いろいろと取り組むことが大切なのはわかっているものの、普段の細かい事への意識などは元來のずぼらな性分が気を抜くとすぐに顔に出てしまうため職員さんからの注意喚起はとても役に立っています。
ルールを守らせることと生きなおしの利害が一致していますから素直に聞き入れられ、後には感謝さえもしていますが、心無い言葉や身も蓋もない表現など、およそ教え、諭し導くものからほど遠い時は心に響きません。
そこまでの心遣いは業務に含まれていないのが現状なのでしょう。受刑者は起こした事件の種類に応じた教科プログラムを受ける決まりがあります。私はこれを早く受講したい旨の希望を伝えたことがありました。
ところが、有期の場合ですと出所の少し前、無期はしかるべき時期と決まっていて、呼ばれるまでは受けられないとのことでした。
では、罪との向き合い方、どう過ごしていくべきかといった指導を受けられる機会があるかと言うと、そういったものは一切ありません。
職員さんと雑談できるタイミングを見計らい寸暇を割いてもらう事は可能でしょうけども、対立構図が出来上がっている中、職員さんと話し込もうものなら要らぬ腹を探られ今度は同衆から白眼視される恐れがあります。
同衆とのコミュニケーションがうまくとれていれば、そのリスクは低く済みますが。
不用意に近づかない方が得策なのは、受刑者万人が肌で学ぶ不文律で、それぐらいの溝は出来てしまっています。
つまり、刑務所はその名の通り刑を務めるところ以上の場所ではなく、更生は自分次第、これで再犯率が下がるはずがありません。
意欲を持たずスタートラインに立たないものは、その時点で見捨てられているのです。
好んで刑務所に来ている受刑者はいません。稀に刑務所に戻りたかったという動機で事件を起こす変わり者がいますが、外の社会に居場所を作る方法を前の受刑で教えてもらえなかった証ではないでしょうか。
受刑者は保護されたばかりの犬猫と同じで心を閉ざしています。言い換えますと現状は双方が心を開く対象とは言い難いのです。
それでも私の肌感覚では職員さんと時に冗談を言える関係は築けていると思っています。
そう接してくださっているだけかもしれませんが、仮にそうであれば尚更ありがたいことで、受刑者はほんの少しのやさしさが身に染みるほど心が枯渇していると言えます。
自業自得にも気づいているからこそ、思考は拠り所なく内へとばかりに向きがちです。荒んだままのところへ抑圧を加え健やかな芽が出るでしょうか。それを社会に植えなおして根を張り実を結ぶとはどうしても思えないのです。
今回の暴行事件を経て私が望むもの・・・それは愛です。
禁煙やダイエットで失敗を繰り返した方も少なくないのではないでしょうか。
わかってもうまく生きられないのが受刑者です。自律して自立するため根気よく寄り添う研修を用意してもらえたらきっと職員さんのやりがいは増すでしょうし、再犯の数も減ると思います。
25年には拘禁刑となり再犯防止教育や、学力をつけさせたり職業訓練にも力を入れるようになるそうです。
文字通り懲らしめではなくなりますが、染みついた体質がどこまで変わるのか・・・。
06年に明治から続いた監獄法から改正された時、奇しくも同じ名古屋刑務所で死者が出た職員の暴力事件がそのきっかけになったともいわれています。その時私はすでに服役していましたが、職員さんの接し方が変わったとは全く感じられませんでした。
刑務所が居心地よい所であって良いはずはありません。ただ子供の頃本当にいけない事をして怒ってくれた親や学校の先生を思い出しますと、叩かれたことさえ今は感謝しています。
「そこに愛はあるんか?」金融系のCMのように、中心線より愛の側にベクトルが向いていたら今回のようなことは起こらなかったに違いありません。新聞報道によりますと、名古屋刑務所の所長は「人権に配慮した言葉づかいや応対を行うように説示していく」と職員さんに対してとても愛ある指導する旨コメントしていました。
平たく訳すと「気を付けろと言っておく」残念ながらこれが現実です。
【PRISON WRITERS】投稿へのサポートに関して/ 心が動いた投稿にサポートして頂けると有り難いです。お預かりしたお金は受刑者本人に届けます。受刑者は、工場作業で受け取る僅かな報奨金の1/2を日用品の購入に充てています。衣食住が保障されているとはいえ、大変励みになります。