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第5章〜病舎看護係編 第3犯〜ボクサー坂本博之選手の講演
【慰問】という言葉がある。
こと刑務所では囚人のために外部の有識者や芸人、プロスポーツ選手などをお呼びし、講演や芸を楽しむというイベントである。
年間通して何回かある行事だが、俺が刑務所で参加した中で一番感動した慰問が坂本選手の講演である。
いや、人生でTOP3に入るほど感動した。
今回の話は刑務所に招待したプロボクサー坂本選手が、当時の世界王者 畑山選手と人生を賭けたタイトルマッチを行い世界中を興奮させた試合、その裏側のお話です。
今の若い方は坂本選手を知らないと思うが、俺ら世代のヤンチャ坊主にとっては憧れの的だった。
僕が逮捕された頃の日本って、どんな業界もなんだかんだ荒事が多かったと記憶している。なので最低限の度胸と腕っぷしがあると無いとでは周りからの信用度が結構違った。
シャバの同い年の知り合いは天下のリク●ート本社勤務だったのでよく話を聞いていたが、業者との揉め事なんて日常茶飯事だったみたい。
だから体育会系出身がより多く採用されていた。
そんな時代背景があったものだから、坂本選手の講演と聞き、みんなテンションがぶち上がっていた。
坂本選手は福岡の養護施設で育ったため、養護施設のみんなにチャンピオンベルトを絶対に持って帰ると決意して臨んだタイトルマッチ。
その試合に賭けた決意や想いを余すことなく話してくれた。
当時は何か大きな大会や試合があったらみんなで一箇所に集まってテレビに向かって応援するというのが当たり前だった。
日本と韓国で共同開催したサッカーのワールドカップも、会社でみんなで酒を飲みながら応援していた。
「パブリックビューイング」なんて言葉が出てきたのもこの頃だったと思う。
俺は格闘技をかじっていたこともあり、シャバでボクシングの試合も結構見ていた。
そんな時、後々ガチンコファイトクラブにも出演した伝説的ボクサー「畑山隆則」と坂本選手が世紀のタイトルマッチを開催すると聞き、当然のようにテレビの前に陣取って食い入るように見ていた。
余談ではあるが川越にはファイトクラブ出身者が何人かいた。
ヤラセ番組と言われていたが、どうやら人選だけは間違っていなかったようだ。でも話すとみんないい人で、所内でも問題を起こす人はあんまりいなかった。
話を戻そう。テレビでは両選手がなぜボクシングに、そしてこの試合に人生をかけているのかまでは分からなかったし、考えるような脳味噌も持ち合わせていなかった。
勝ったら有名になってお金ガッポリ、という俺らが考えそうな低俗な思いではない。
だから坂本選手の講演と聞いてテンションは上がったが、「試合見れないのは残念だ」くらいの気持ちで講堂に向かっていた。
壇上に立った坂本選手は公表している体格よりも大きく見えた。
きっと纏っているオーラや雰囲気がそう見せたのかもしれない。
トークだけでなく話の流れに沿ってファイティングポーズをとったり、軽いシャドーをしていたが本当に迫力満点だった。
ほとんど最前列で見れたのは掃夫の特権だと思う。
うちら看護係は意外と、と言うかなんと言うかオヤジ連中に良くしてもらってたからいつでも前の方で見れた。
ほとんどがつまらない講演ばっかりだったけど、この日ばかりは心底感謝した笑
生粋の超近距離ファイターで「怪物」と呼ばれ、同階級で最高の威力を誇るパンチで対戦者をことごとくマットに沈めてきた坂本選手
VS
中長距離を得意とし、各メディアに「天才」と称され、パンチ力を補う手数とフットワークで相手を翻弄し、必殺のカウンターで対戦者を斬って落として来たチャンピオン畑山選手
[はじめの一歩]の主人公とライバルみたいな感じ。
だが坂本選手が俺らに伝えたかったのは試合で勝つ方法でもなかったし、自慢話でもなかった。
坂本選手からのメッセージは【やりきる人生】だった。
後悔が追いつかないほどの完全燃焼。今自分が持っている全エネルギーを注いで何かを成し遂げる大切さ。努力はすぐにでなくとも後で必ず報われる。
決して話が上手な人ではなかったが、俺らの心は坂本選手から投げかけられる言葉でボッコボコにされた。魂の込もった最高の言葉だった。
耐えられなくなった囚人が順番に号泣していった。
言葉もハードパンチャーだった。
坂本選手の口から発せられる一言一言に会場全体がハラハラドキドキし、感動で涙し、得体の知れない[強い想い]が湧き上がってきた。
みんな口にこそ出さなかったが、各々少なからず何かを感じ取っていた。
俺の場合は【今の自分のダサさ】だった。
過去に「これ以上は死んでしまう」と感じるくらい真剣に格闘技と向き合った経験がありながら、真っ当に生きることを放棄した上に犯罪を犯し刑務所にいる自分。
昔の俺が囚人の俺を見たらどう思うだろう?
落胆という言葉では形容しきれないレベルのガッカリを感じると思う。
そんなこんなで集中して見聞きしていたら話の中でタイトルマッチが終わっていた。そして知ってはいたが坂本選手は畑山選手に負けた。
俺は持って行ったハンドタオルでは吸水しきれないほど泣いたと思う。
テレビ前では「負けちゃったよ〜」で終わったのに、なんでこんなに涙がボロボロ出るのか不思議だった。
これに関してはYouTubeにドキュメンタリーが上がっていたので見ていただければと思います。
今になっても動画を見ただけで鳥肌が立つ。
「The 昭和の漢」って感じのお二人だ。
そんな熱い坂本選手の講演。終わってみれば鳴り止まない拍手と歓声。
許可なく立ったり喋ったりしたら問答無用で取り調べ、最悪懲罰になってしまうのが刑務所のルールだが、そんなのをガン無視して、講堂にパンパンに押し込まれた1000人近くの囚人が全員スタンディングオベーションし、鼓膜が破れるほどの拍手と大歓声を坂本選手に送っていた。
最後に坂本選手は
「俺ももっと頑張るからお前らも負けずに頑張れよ!」
と大声で我々にゲキを飛ばし、拳を高く突き上げて舞台袖に消えて行った。
真剣に生き、何かに夢中になっている人の言葉ってどういうわけか心に響く。
この講演は俺の拙い文章では表現できないほど最高の「試合」だった。
そしてこの講演をキッカケに僕ら囚人の生活態度が一変した。
今までは刑期の満了までダラダラ過ごしていた囚人達が見てわかるくらい真剣に生活し始めた。
大体が三日ともたずに元の生活に戻っていったが、病舎のみんなは何かしらの勉強を続けるようになった。
今になって思うんだが、所内の偉いオヤジやどんな外部講師もこんな状況を作ることはできなかった。
刑務所というのは、それだけ囚人が自主的に何かを始めるということが不可能に近い環境だ。
だから2時間やそこらの講演で囚人の生活態度まで変えてしまった坂本選手は本当に凄い。こういうのをカリスマというのだろう。
そんな坂本選手は刑務所への講演に留まらず、令和になった今も「平成のタイガーマスク」として養護施設にボクシンググローブなどを配布し、恵まれない子供達に夢と希望を与える活動をしている。
出所後もそんな坂本選手の素晴らしさに打ちのめされた俺は、坂本選手が経営するボクシングジムに当時の講演のお礼をしに行った。
残念ながらお会いすることは叶わなかったが、コロナ騒動が落ち着き、もっと大きな人間になったら改めてお礼をしに行きたいと思っている。
今回も最後までお読み頂きありがとうございます!
スポーツって本当にいいですね!
みんなに感動と興奮を与える、そんな人間にはいくつになっても憧れます!
次回はスポーツ繋がりで、刑務所の運動会について書きたいと思います。