これは上手くできた。
Canvaで制作した画像。やろうと思えばアプリでも手軽に組版できる気がするけど、"、ー。記号表記が縦書きにするとおかしくなる。
小さい頃、家の近くのプールに泳ぎに行った。無我夢中で水を掻き分け、飽きて引き上げた後、ぼんやりとした体の重さに包まれて戸惑った。なんだか自分が浮遊したままで、地面に足が着いて立っているのが不思議に思えた。プールには姉と父親が一緒に着いて行って、私は父親の自転車の後ろに座って帰った。 その時のなんとも言えない安心感を、成人した今でも何度も思い出す。父親の大きすぎる背中にもたれかかっているだけで、ちゃんと家に着くことを当たり前のように信じきっていた。身を委ね、車輪がするすると転が
お世話になっている下窪さんが編集された『アフリカ』のWeb版が出来ました。 有難いことに、私の文、それと少し前に作った銅版画を載せていただきました。興味のある方は是非覗いてみて下さい。 ※※※ このnoteも長らく放置気味。『アフリカ』が動き始めてようやく創作方向に力が入る。 Web版は私のちょっとした修行の場になるかもしれない。 昨年末、このnoteに「入念に計画するよりかは、適当に流されながら、沢山の思いがけない景色が見れたら満足だ。」ということを書いていて、今年は
『アフリカ』の告知が遅くなった。 2月22日に33号が発売されて、私の文も無事載せてもらえることになりました。この場で改めて関わってくださった方々に、感謝の気持ちを伝えます。 本にして形にするなんてこと、なかなか一人でできることではないものね。 発売日に下窪さんから冊子が数冊届いて、すぐに友人のティーちゃんに送った。そうしたら、先日、ティーちゃんから感想のお手紙が送られてきて、とても嬉しかった。 彼女とは直接お会いしたことはないけれど、私とは全く違った性格のようだと分かって
ここ最近、忙しかった… という訳でもなく。 単純に文章を書く機会を逃していた。 自分一人でいられる時間が少なくなった。その分、私の周りには沢山の人で賑わっていて、淋しさを感じないのは嬉しい。 けど、私はこの盛んで明るい交流のことを、「インスタント交流」と心の中で密かにそう呼んでいる。繋がれる話題や用が済んでしまえば、「一時的」な関わりなので、何も無かったかのように消えるだろう。自分の心に印象深く残る人間関係や思い出にはなりづらい。 そう思うと、馬鹿馬鹿しい。色んなことが。
今月は楽しかった。風のように想いの向くまま、いろんな人間と話して笑った。ともかく、お笑いが大好きな私にとっては、12月はM-1が放送されるということが、一番自分の楽しみに直結していたのだった。それに伴い、お笑いライブ(地下)にも何度も足を運ぶために東京に出向く。 人目を気にせず、思う存分ゲラゲラ腹を抱えながら笑えることは、私にとっての幸福だ。 お笑いライブでの土産話を姉にすると、困ったように眉間に皺を寄せながら笑う。ほんとうに意味不明。誰よ、その知らない芸人達は。 鬱の中の孤
アデルの新曲を聴く。題名はEasy On Me。 お手柔らかに、とか、優しくして。という意味らしい。 もしかしたら、姉もアデルの歌詞が表したような気持ちでいるのかもしれない。ずっと渡りきれない川の中をもがきながら泳いでいるのかもしれない。(深読みのしすぎかもしれないが、そう考えることは無駄ではない気がする。) どんなに大人になったって、厳しい言葉よりも優しい言葉が欲しい、と思う。 休息のために実家にひとり戻ってきた姉が、あまりにも憔悴しきっていて、母親の手をとって目を閉じな
キリストのように慈悲深い悟った大人たちが、まとめあげている世界があるのだと信じたかった。 自分の未熟さをどこまでも赦してくれる。寄りかかっても、受け止めてくれるそんな他者が私の前に現れてくれることを。 今、どこをどう歩いても、そんな私の理想を体現した人間はいないことを知る。 みなが自分のことで精一杯で、一生懸命で、色んなことが分からないまま、手探りの状態で過ごしている。 もし私の欠点を含め赦す人がいるとしたら、その存在は自分自身であって、自分の理解者になることから始めなくては
「どうして勝手に離れたの?一言でも伝えてくれなかったの?それだけでよかったのに。あなたと過ごした日々は私にとって大切な思い出です」 学生の頃から仲の良かった友からのメールを開き、しばらくじっくり考えたあとに、数日後に短い文で返事をする。 距離を置きたい。我儘だと分かっていても、何も言わずに放っておいてほしいと。 10年もの付き合いになると、単なる遊び仲間としての友情だけでは繋がれず、複雑でややこしい関係性になってしまった。もっと正確に言うと、私の心が複雑になったのだと言える
個人的な『キングオブコント2021』の感想。 今回は母親と一緒に鑑賞。昨日はかなり体力的に疲れ切っていて、笑えるハードルが低かったので冷静にコントを観ようと決意する。 観る側も集中して評価するから、体力がいるし、点数をつけるなら尚更気をつかうので、審査員も真剣な顔になってしまうのは分かる。それでも不意に笑みが溢れるのをワイプで見てつられる。 序盤から数組みて、ちょっとこれ、みんな大丈夫かなあ?と内心思っていた(失礼)のだけど、うるとらブギーズのコントでたくさん笑う。アナウ
調子が戻ってきた。夏らしい日が戻ってきて、束の間楽しんでる。 私が勝手に心の中にあまり重要ではない他者を招き入れた結果の体調不良なので、自業自得だとどこかで分かっていて、今になって、本当に大切にしたい人のことを慎重に考えて選んでいる。 真夏の太陽みたいに輝いていて自己表現の巧みな人に憧れを持っているのは事実だし、そういう人といるのは楽しくて仕方がないけれど、少し心がざわざわと落ち着かない。 私が目を向けるべき人はそういう人達ではないのかもしれない。 (私自身のことを振り返っ
私的な文章が全く書けない。 趣旨を変えて、最近みた展覧会の話をしたい。 日本大通り沿いにあるギャルリーパリで叶野千晶 壁景 Chiaki KANO WALL-SCAPE という展覧会を、知人経由のFacebookの紹介で知り、心惹かれるものがあったので行ってきた。 (彼女本人と私は一切関係はありません) 叶野さんは在学中に学校に通えなくなり、孤独の中を彷徨く中、『アンネの日記』を読んで一筋の光を見出した。その後、ポーランドの地に自ら何度も赴き、ユダヤ人強制収容所の壁の写真
8月に入り、コロナが再び猛威を奮いはじめ、またもや予定が崩れ始める。それに伴ってだんだんと身体の調子も下がり始めた。 私なりの現実逃避と遊びのバランスを現実世界で成り立たせていたのが、一日中家に引き篭もる生活が増え始め、その逃げ場がまた睡眠時の夢に向かっていく。 夢、夢、夢。現実での日々が忙しないわけでもなく、長く眠って夢をみていられるということはある意味で幸せなことかもしれないが、虫の良すぎる夢を何度もみては、泡が弾けるように、あっけなく目が覚めることを繰り返していると、流
父のことが全く分からなかった。 無口で全く自己表現をしない父から愛情を感じ取れたことが殆どなかった。 幼い頃の父との記憶は、何故か外が真っ暗な時間帯に一緒にいる。昼間は仕事が忙しかったのだろう。 幼い私が公園の遊具から落っこちて大怪我をした時や、チャイルドシートに私を載せたまま自転車を横転させた時、一頻り爆笑したのち何の手当てもされず一緒に家に帰り、母親を驚かせた。父に悪意があったわけではなく、単純に子供とどう接すればいいのか分からなかっただけだった。 対して母親は優しかった
雑多な下町に住んで10年は経った。 小学低学年の頃に親の都合によって離れていた時期が数年あったが、高校に入る頃、結局この街に舞い戻ってきた。 決して治安の良い場所ではないし、住んでいる場所が複雑なだけに、人に住所を教えると怪訝な顔をされることは多いのだが、自分は自分でこの街のことを気に入っているので文にしたくなった。 ここでは、ぷらぷら散歩をしても、ベランダから外を眺めるだけでも、いたる場所で洗濯物が干してあるのが目に入る。 ぽーっと眺め、その奥の窓を通って、息をして生活を