「印象派 モネからアメリカへ」をみてわかった印象派が美術界に与えた影響の大きさ!!
こんにちは。
先日4月7日に会期が終わってしまった東京都美術館の「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」を観てきました。遅まきながらレポートします。
今年は1月に上野の森美術館で開催していた「モネ 連作の情景」もあり、印象派についての基本はかなり理解したつもりでした。
今回の展覧会はどちらかというと印象派の応用編、拡大編として、印象派探求の続きとしては、とても面白いものでした。
特に今回はこうした印象派の考え方や技法が地理的に世界中の芸術家たちに拡大していき、ついには大西洋を渡り、アメリカの画家たちにも大いなる影響を与えたことを知ることができ、そして、その作品群を実際に見ることができました。
また、ビジネス的には、印象派が生まれてから約20年後に開館したこの「ウスター美術館」が当時、印象派に注目して、フランスも含めた世界中から印象派の絵画作品を購入しまくり、現在、それを4000点もの一大コレクションにしていることがわかりました。
それでは、まずは印象派の一大コレクションを持つウスター美術館から説明します。マサチューセッツ州ウスター市にあるウスター美術館は1898年に開館しました。
今回の展覧会で見れる作品の多くは、ウスター美術館が開館してから20年の間に購入、収蔵した作品がほとんどだそうです。
特に絵画購入で有名な話としては次の2つだそうです。
1909年にメアリー・カサットの「裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル」を購入し、この重要な印象派画家の絵画をメトロポリタン美術館と並んで最初に購入したアメリカ美術館のひとつとなりました。
さらに1910年にパリの画廊からモネの絵画2点を購入した最初のアメリカ美術館のひとつとなり、また「睡蓮」連作を世界で最初に購入した美術館となったそうです。
それでは、いつものように展示順に見ていきましょう。
1. 伝統への挑戦
この章では、前半はヨーロッパの画家によるフランスの田園地帯の風景など、フランスの自然を印象派絵画で描いたものようです。
「村の道」コンスタン・トロワイヨン
「りんご採り、ノルマンディー」コンスタン・トロワイヨン
「山を下るボヘミアン」ナルシス・ヴィルジル・ディアス・ド・ラ・ペーニャ
「幸福の谷」ジャン=パティスト・カミーユ・コロー
「ヴィル・ダヴレーの牧歌的な場所 池畔の釣り人」ジャン=パティスト・カミーユ・コロー
「ヨンヌ川の橋(夕暮れ)」シャルル・フランソワ・ドービニー
「干し草作り」ジュリアン・デュプレ
次に、このクールベの作品は肖像画に印象派技法を用いてアカデミックな芸術を否定するものだったということです。
「女と猫」ギュスターヴ・クールベ
後半の作品群はヨーロッパで学んだ印象派技法を用いてアメリカの風景を描いたものです。
「アルノ川の眺望、フレンツェ近郊」トマス・コール
「パリセーズの対岸」ジョージ・イネス
「冬の海岸」ウィンスロー・ホーマー
2. パリと印象派の画家たち
この章では、1874年4月にパリで行われた印象派グループ(当時は印象派という言葉はなかった)の画家たちの作品を見ることができます。モネ、ピサロ、ルノワール、セザンヌなど、見どころたっぷりの展示でした。
そして、ウスター美術館が1910年に購入、所蔵したモネの「睡蓮」を見ることができました。さらには「睡蓮の収蔵をめぐって」ということで、当時、ウスター美術館とデュラン=リュエル画廊とのやりとりの資料が展示されていました。貴重ですね。
「工事中のトゥルーヴィルの港」ルイ=ウージェーヌ・ブーダン
「税関吏の小屋、荒れた海」クロード・モネ
「オーヴェールの曲がり角」ポール・セザンヌ
「洗濯場」アルフレッド・シスレー
「ルーアンのラクロワ島」カミーユ・ピサロ
「ディエップの船デュケーヌとベリニー、曇り」カミーユ・ピサロ
「テラスにて」ベルト・モリゾ
「アラブの女」ピエール=オーギュスト・ルノワール
「裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル」メアリー・カサット
「花摘み、フランス式庭園にて」チャイルド・ハッサム
「闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール」ピエール=オーギュスト・ルノワール
「睡蓮」クロード・モネ
3. 国際的な広がり
この章では、20世紀に入ってパリに留学し、印象派も含めた新しい絵画の表現方法を母国に持ち帰った画家の作品がまとめられています。
アメリカ生まれのホイッスラー、ベルギー生まれのステヴァンス、オランダのイスラエルス、スウェーデンのソーン、イタリア人のサージェントなどです。
「バラ色と銀:磁器の国の姫君のための習作」ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
「母」アルフレッド・ステヴァンス
「砂丘にて」ヨゼフ・イスラエルス
「オパール」アンデシュ・レオナード・ソーン
「水を運ぶヴェネツィアの人」ジョン・シンガー・サージェント
「キャサリン・チェイス・プラット」ジョン・シンガー・サージェント
「コルフ島のオレンジの木々」ジョン・シンガー・サージェント
そして、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本人画家もパリに留学をしていました。
黒田清輝、久米桂一郎、藤島武二、斎藤豊作、児島虎次郎などです。
また、太田喜二郎はベルギーに留学して、フランス印象派に影響を受けました。
中沢弘光は、黒田清輝に師事した後、遅く1922年に渡欧しました。
また、ルノワールに傾倒していた山下新太郎はルノワールが68歳の時にルノワールのアトリエを訪れたそうです。
「落葉」黒田清輝
「草つむ女」黒田清輝
「林檎拾い」久米桂一郎
「秋景」久米桂一郎
「ティヴォリ、ヴィラ・デステの池」藤島武二
「風景」斎藤豊作
「風景」太田喜二郎
「サン・ピエール寺院」太田喜二郎
「ルクサンブール公園の噴水」児島虎次郎
「舞子」中沢弘光
「供物」山下新太郎
4. アメリカの印象派
さて、この章では、ついにアメリカの画家たちの作品となります。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカの画家たちは印象派について独自の解釈を編み出し、各地域でさまざまなヴァリエーションが生まれました。
特に、マサチューセッツの風景に適用したジョゼフ・H・グリーンウッド、コネティカット州グリニッジ郊外の自然を描いたジョン・ヘンリー・トワックトマンやウィラード・リロイ・メトカーフ、ボストンの街並みを描いたチャイルド・ハッサムなどです。
ハッサムはニューハンプシャー州の島々、ショールズ諸島や、逆にニューヨークの都会の部屋の室内なども描いています。
ゴーダーはオハイオ州の公園の風景、ターベルは光と影を対比させたモデルの背中を、ポーは肖像画を描くなど、あらゆるヴァリエーションに印象派の技法を適用させています。
「ウィリアム・クラーク夫人」ウィリアム・メリット・チェイス
「ソリティアをする少女」フランク・ウェストン・ベンソン
「リンゴ園」ジョゼフ・H・グリーンウッド
「雪どけ」ジョゼフ・H・グリーンウッド
「滝」ジョン・ヘンリー・トワックトマン
「プレリュード」ウィラード・リロイ・メトカーフ
「コロンバス大通り、雨の日」チャイルド・ハッサム
「シルフズ・ロック、アップルドア島」チャイルド・ハッサム
「朝食室、冬の朝、ニューヨーク」チャイルド・ハッサム
「公園にて」ルーサー・エマーソン・ヴァン・ゴーダー
「ヴェネツィアン・ブライド」エドマンド・チャールズ・ターベル
「ヘレン・ビゲロー・メリマン」セシリア・ポー
5. まだ見ぬ景色を求めて
最後の章はポスト印象派として、印象派の技法から、より色彩、象徴、形態といった要素の探求に重きを置き、より抽象的な表現形式へ移行していった作品を前半部に展示しているようです。
そして、後半部はアメリカの画家たちが印象派の技法を用いて自身の独自の感性を入れながら、アメリカ各地(一部北アフリカ)の風景を描いた作品群でした。
セザンヌ、シニャック、ブラックは印象派時代の画家ですが、色彩など、より独自色を出している作品です。
続くコリント、スレーフォークトはドイツ人の画家で、こちらも色彩と筆使いに独特のものがあります。
クレインやイネス、トライオン、ワイアントはアメリカの画家たちで、アメリカにおける風景画を描いています。
メトカーフは北アフリカのチュニジアを、ベンソンは戸外での女性の肖像画を、そしてパーシャルはグランドキャニオン、トワックマンはイエローストーン国立公園などの風景をそれぞれ独自の感性を織り交ぜながら、印象派の技法を使って描いています。
「カード遊びをする人々」ポール・セザンヌ
「ゴルフ・ジュアン」ポール・シニャック
「オリーヴの木々」ジョルジュ・ブラック
「鏡の前」ロヴィス・コリント
「自画像、ゴートラムシュタインの庭にて」マックス・スレーフォークト
「11月の風景」ブルース・クレイン
「森の池」ジョージ・イネス
「秋の入り口」ドワイト・ウィリアム・トライオン
「川、日暮れ」ドワイト・ウィリアム・トライオン
「風景」アレクサンダー・ヘルウィグ・ワイアント
「街の風景、チュニス」ウィラード・リロイ・メトカーフ
「ナタリー」フランク・ウェストン・ベンソン
「ハーミット・クリーク・キャニオン」デウィット・パーシャル
「急流、イエローストーン」ジョン・ヘンリー・トワックトマン
このように、この「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」では、ウスター美術館の所蔵を紹介しながら、印象派の絵画、そして、その後、印象派がアメリカに拡大し、世界中に広がったことがわかりました。
さらに、そうした地理的な拡大だけでなく、ジャンルも超えて、肖像画や風俗画などにもその技法が取り入れられたことがわかりました。美術って面白いですね。
それでは。