「小説 名娼明月」 第61話:発心(ほっしん)の願い
「去年の秋の末、住み馴れし古郷を残して、踏みも習わぬ旅に出たるは、何がためぞ?
雨に、風に、雪に、霜に、母娘の者が巡礼姿を曝(さら)して、辛酸苦労を嘗めたのは、何がためぞ?
母を失いし嘆きは、何がためぞ?
再び良人に巡り合いて、その無事なる姿も見、かつ本望遂げさせて一緒に古郷に帰り、家名の再興を願ったからである。
千辛万苦も、そのために甲斐があった。また、それがために、どんな辛労も恥辱も忍んできた。
けれども、今良人(おっと)は、朱(あけ)に染んで、自分の目の前に死んでいる!
もはや古郷に帰る望みも絶えた!
家再興の希望も捨てた!
どうか自分も、良人の後を追いたいものである!」
と、お秋は、ひたすらに嘆き悲しんで、良人の死骸を離れ得ぬ。
太郎兵衛は、水を汲んできて、金吾の躯の血を叮嚀(ていねい)に洗い清め、その疵口(きずぐち)をも綺麗に包んでしまった。
「お秋様のお身の上、余所(よそ)の見る目もお気の毒である。ことに、この武士(さむらい)は、多くの者を悩ましたる山賊を平らげくだされし、ご恩人である。恩人の死骸をこのままにするは、村民としても済まぬ訳である」
と、太郎兵衛は、この日の博多行きを思い止まって、埋葬の方にかかった。そうして、お秋が懐中の金を出して、埋葬の事を頼むを、太郎兵衛は押し戻し、その日の黄昏近き頃、近傍の或る山寺に、金吾の遺骸(なきがら)を無事に葬った。金吾の棺が地の下深く埋(うず)められた時、お秋は、さらに辛く、情けなく思った。
もう金吾も葬ってしまった。もはやお秋は、天にも地にも、ただ一人である。古郷はあれども、親兄弟も所縁(ゆかり)もなき所が、何で古郷であろう。
お秋は、これから生きてゆくべき目当てを失ってしまった身である。楽しみもなければ、望みもない。慰藉(なぐさみ)もなければ、喜びもない。ただ撰ぶべきは、「死」だけである。死ぬるほかに仕様がないのである。
けれども、ここは人の家である。良人の死や埋葬のことについて、さまざまと手数をかけし上に、自分がまた自害でもしたら、その上に世話をかけることとなる。
「どうあっても、ここは死ぬ場所ではない」
と、お秋は決心を翻して、ひとまず、この家を発つこととした。初七日の勤めを済ますと、お秋は金吾の紀年(かたみ)の大小を、太郎兵衛に送り、厚く礼を述べて、その村を去った。
発ちはしたものの、さてお秋は、どこに行けばいいのであろう?
お秋は、あてもなく路を歩きながら、考えてみた。
「この上、生き甲斐なき身であれど、気にかかるは、小倉に死したる母の墓と、今度の良人の墓である。昔から自分と同じ身の上になった女もあった。そうして墨染の衣に身を包んで、逝きし人の菩提を弔って生涯を過ごした女もあった。
自分はもう、何の用もない身である。これから行くべきところもない身である。一層、尼となって、母や良人の菩提を弔って、淋しく一生を暮らそうか?」
と、お秋は思いながら、幾代松原から姪の浜の方へ歩いた。
「しかし、尼となるからは、その前に、一度古郷に帰り、万事を程よく取り畳んで、それから国を出ることとしょう」
と心に極めて、お秋は、姪の浜を過ぎて、藤崎の駅(しゅく)までたどって来た。
日は暮れに近い。北風は身を切るように強いけれども、懐中は残り僅かになっている。
「どうあっても、今夜のうちに、博多までは言っておかねばならぬ」
と、お秋が急ぎ行く時、後の方に当たって、人の気配がした。