「小説 名娼明月」 第60話:金吾の死
金吾はお秋に逢いたる喜びの余り、力無き手にお秋を犇(ひし)と掻き抱いたが、傷の痛みに堪え兼ねて言葉も出ぬ。口元を動かしてはみれど、声が出ぬ。仕方がないから手模様を以って話そうと、しきりに焦心(あせ)った末に、
「そなたは、どうして、ここへは来た?」
と、ようやく聞き取れるくらいに言った。幽(かす)かな虫の息である。
お秋は、苦労辛酸の数々を嘗めて、三年ぶりに、ようやく巡り合ったる良人(おっと)の、この痛ましき姿を見ねばならぬのが情けなかった。逢ったのは、それは実に嬉しい。逢いし嬉しさが多いだけ、悲しみも多かった。涙が留めどなく頬を伝うので、袖で押さえてお秋は語った。
「お別れ申して、ここに三年の長の月日、何のお便りも無きを気遣う余り、去年の秋より古郷を出で、この浅ましき巡礼姿となって、貴方(あなた)の行衛(ゆくえ)を捜し廻りましてござります!」
と、一旦肥前龍造寺の領に行って、また引返し、ここの下まで来た時、百姓太郎兵衛が唸(うめ)いていたことを、一通り話したる上、懐中の気付薬を出して金吾に飲ませ、自分の扱帯(しごき)を手早く解いて、金吾の疵口(きずぐち)を結んでやるところに、かの太郎兵衛もようやく元気を回復し、お秋の身の上を気遣うて、上がって来た。太郎兵衛は、この光景(ありさま)を見て驚いてしまった。あの武士とお秋とが、行く末を契りたる夫婦の仲であったことが、意外だったからである。
「いつまでこうしていても、しようがない。とにかく、私の宅(うち)まで担(かつ)いで行って、手当を加えたがよかろう」
との太郎兵衛の言葉に、お秋は、その厚意に従い、金吾を下の通りまで担ぎ下ろすこととした。金吾は、太郎兵衛が背負ってくれたから、間もなく、今宿在の太郎兵衛の家に着いた。
さすが豪気の金吾も、深傷(ふかで)と出血のために精気衰えて、今は呼吸(いき)するさえ苦しい。それを無理に怺(こら)えて、金吾は、太郎兵衛に厚く礼を述べた。そうして、さらに、お秋に向かって言った。
「不倶戴天の親の仇を、三年ぶりの今日、討取り得たる嬉しさ、自分にとりて、これ以上の満足はない。そなたも同じく嬉しいであろう。さりながら、この深傷では、到底存命は覚束ない。辛労の数々を嘗めて、自分をここまで尋ねて来てくだされし、そなたの真情に対しては、何とも感謝の言葉もないのであるが、逢うた嬉しさを名残りに、自分は目を閉(つぶ)らねばならぬ。これが今生の別れかと思えば、会わぬが中々(なかなか)に嬉しかったであろうものを…」
と切れ切れに語るうちに、元気一層衰えて、もはや言葉も聞き取れぬようになった。そうして自分に縋(すが)り泣くお秋を残して、金吾は眠るがように縡(こと)切れてしまった。
お秋の嘆きは、いかばかりであろう。
「首尾よく仇討の本望遂げたまいたる上、夫婦もろとも相携えて、古郷に帰るべき、その日の嬉しさを想い、ただその嬉しさを想うのを一つの慰藉(なぐさみ)とし、旅路の苦悩も忘れ、また疲るる足を、それがために鞭(むちう)ちて、はるばるここまで尋ね来たりしものを、会えばすぐに永久(とわ)に逢われぬ別離(わかれ)とは、そも何事ぞ!
ああ、我が世の希望(のぞみ)も、今は絶え果てた! 望みの耐えし浮世に永らえて、昔忍ぶの苦しみを見んよりは、この場に自害して、良人や父母の跡を追おう!」
と、お秋が泣き狂うのを、太郎兵衛は押し宥(なだ)めて、短気を思い止まらしょうとすれど、なかなかに諾(き)き入れぬ。果ては、良人の死骸を掻き抱き、絶え入るばかりに咽(むせ)び泣いた。太郎兵衛はじめ、家の者皆、お秋の嘆きを目の当たりに見るに堪え兼ね、顔を背けた。