異性愛に誘導されてきた子どもに起こることとは?
9月に東京都台東区の区議がLGBT理解増進法について「教育が同性愛へ誘導しかねない」と発言したニュースが報道されました。
10月に区議は一部の発言を撤回したとのこと(こちら)。これらのニュースについて考えたことを今回は書いてみたいと思います。
まず「私の周辺の方から聞いて感じている様子と大きな隔たりがある」という点です。LGBTs当事者でも「自分は差別されたことがないから差別なんてない」と言う人がいます。生活する上で大きな困難を感じることのない環境で育ったこと、受容的な人間関係に恵まれてきたことはとても喜ばしい事実です。
しかし、個人の実感と制度の不備は両立します。現在の日本では同性カップルは異性カップルと同じ法的保護がないため、いざ結婚するときになったら、家を買うときになったら、パートナーが亡くなったら、異性のカップルと同じように法的な支援を受けることはできません。そのときになって「やっぱり差別はあった」と感じるのでは手遅れです。個人の実感はさておき、制度的な不均衡を私たちは知っておく必要がありますね。
また、もともとトランスジェンダーにはその他のセクシュアリティの人々より、無職・非正規雇用・ワーキングプアが多いという調査結果があります。加えてコロナ禍に入ってから、トランスジェンダーは収入、労働時間、自己学習時間などが減少しているのに対し、シスジェンダーヘテロセクシュアルはテレワークと自己学習が増加しているという結果が出ています(こちら)。
こうした調査から見える「見えにくい人々の生活の困難」を掬い上げるのも、政治に携わる人のひとつの役目だと思います。
次に「人は教育によって同性愛に誘導できるのか?」という点です。これについては中高年のLGBTsにずばり聞いてみていいかも知れません。保健体育で「皆さんは思春期になると自然と異性に惹かれるようになります」と習った世代です。学校の先生も親もそう言うのに、一向にそんな気持ちが湧かない。むしろ気になるのは同性の友達。あるいは特に気になる人なんていない。友達からもおかしい、もしくは嘘つきと言われる。自分はおかしいのか? いつか異性を好きになるのだろうか?
そんな気持ちで国語辞典で「同性愛」の意味を調べて、「異常性愛」という記述に衝撃を受けることも度々ありました。私は「これはおかしいことなんだ」「異性を好きになるのが当たり前なんだ」「異常なのだから治療しなければいけない」と考え、大学では心理学を専攻し、同時にカウンセリングに通っていました。私が試行錯誤、七転八倒、四苦八苦していた最中の1993年、世界保健機関(WHO)が定める国際疾病分類(ICD)では同性愛が治療の対象から外されました。
しかしすぐに自分やカウンセラーの情報が更新されることはなく、6年間カウンセリングに通い続け、それでも私は何ひとつ変わりませんでした。むしろこれだけ時間とお金をかけても異性を好きにならない自分に絶望しました。
LGBTsは子どもの頃から「異性愛に誘導され」続けています。誘導に応えようと努力した結果が私です。自分にもカウンセリングにもカウンセラーにも絶望し(カウンセラーにはとばっちりですが)、無理やり自分を捻じ曲げようとしたために精神を病んで、現在も治療を続けています。教育で同性愛に誘導できるなら、ずっと異性愛に誘導されてきた私はこんなに苦闘せずに済んだのです。
だから、子どもたちにも区議の方にも伝えたい。「誘導してもされても、誘導しなくてもされなくても、異性が好きな子は異性が好きになるし、同性が好きな子は同性を好きになる。どちらも好きになる子もいれば、誰も好きにならない子もいる。その子の在り様を捻じ曲げようとする大人の方が、社会の方が、害悪になり得る」ということを。
誰もが暮らしやすい社会は、現在生きている私たちだけではなく、未来の子どもたちのためにも、より良いものにして行きたいですね。