この世の果てで 超短編
私にもようやく順番が回って来たようだ。自然と今がその時なのだと分かった。妻に先立たれてからは一日一日が長く、まるで固い削り節を少しずつ削っているような毎日だった。
私の意識は、ゆっくりと小さな黒い点に向かって行き、少しずつ黒が広がっていった。
なるほど。死とはこういうものか、想像と大差ない。少しも怖くない。
黒に覆い尽くされ、いよいよ最期だと思った瞬間、私は黒では無く、白の大地に立っていた。
ここが死後の世界というやつなのか。
何が何なのか分からない。分かる筈も無い。
右か左か、そんな感覚も曖昧なまま私は私に任せて漂う様に白の大地の中を進んだ。
気が付くと私は雑踏の中に居た。
死後の世界とはこんなに賑やかなものなのか。それともここは死後の世界とはまた別の何かなのか?とは言え流石にこの場所は私の想像していたモノとは、かけ離れている。
あちこちで声が飛び交い至る所に人だかりが出来ている。まるで当時の活気溢れる証券取引所のようだ。
私は係員に声をかけられ、誘導されるがままに一つの列に並ばされた。係員なのかは不確かだが多分そうなのだろうと、それに従った。
永遠にも一瞬にも感じられる曖昧な時間を消化し終え、私の順番が回ってきた。
薄い衝立の向こうから名を呼ばれ、私はスーツ姿の青年の前に机を挟んで着席した。
「えぇっと。田中さんですよね。よろしくお願いします。山田と言います。よろしくお願いします。田中さんあなたはポイントが現時点で満タンまで溜まっています。そのポイントを全てご利用する事が出来るのですが、もちろん利用しますよね?」
山田青年の屈託の無い笑顔に私はただただ首を横に傾げる。
「おい。お前ちゃんと一から分かる様に説明しろよ」と山田青年の後ろを通りがかった先輩らしき人が山田青年に向かって言い放ち、私の方には申し訳なさそうに頭を下げた。
「はい。いや、大丈夫です。すみません」青年は慌ただしく手元に並べてある資料を集め、また並べ直した。
「田中さん。失礼しました。説明致し直します。えぇっとですね、まず、生きとし生けるものは例外なく全て「死」を迎えます。「死」とは出入り口の様なものだと捉えてください。
そして、ここはその出入り口の受付をする場所となっています。私達は皆さんが円滑に現世とを行き来が出来る様にサポートする役目を担っています。ここまでで質問はございますか?」
「大丈夫です。続けて下さい」
「有難うございます。それでですね、皆さんの現世での働きはこちらで全て計測しております。生き物によって計測の仕方は多少変わるのですが、それらを数値化しポイントとして皆様に還元致します。そしてこのポイントを利用してもらい来世での生活をより豊かにしてもらうという事です」
「なるほど。ところで何故私はポイントが満タンなのでしょうか?」
「ありがとうございます。簡単に言うとポイントが加算されるのがいわゆる善行ですね。逆に悪行を行うと減算されます。えっと、そうですね、地方によっては「徳を積む」みたいな言い方をしてるやつです」
善行と悪行の基準はどうなっているのだろう?それらは立場によって変わるモノな気がするが、と思ったが、山田青年に尋ねてみても説明が長くなりそうなのでそっと胸に納めておいた。
ところで私はいつの間にそんなに徳を積んでいたのだろうとも思ったが、まぁ長生きした分知らずに溜まったのか、と思う事にした。
「それでですね、ポイントのご利用方法は大きく分けて2つになります。1つは先ほど申しました来世での生活にご利用にされるパターンです。もう1つはこちらで用意している各施設をポイントでご利用になれます。皆さんの多くは現世での疲れなどを癒す為に施設での休養を望まれますね。施設によってポイントの利用量が変わるのですが、こちらで用意している最高ランクの施設が「桃源郷」と呼ばれている施設になります。他にも様々な施設を用意しております。こちらをご覧下さい」
そう言うと山田青年はカタログを私の方に向けて寄越してくれた。
「田中さんのポイント数ならもちろん全ての施設利用が可能となります。各施設にて充分に休養してもらい、また気が向いた頃に来世に出向いて貰えればと思います。ちなみに現世にてポイントがマイナス残高になっている方は別施設にてポイントを返済してもらう事になりますが、まぁこれは田中さんには関係の無い話ですね、失礼しました」
「なるほど。施設の事は大体解りました。来世でのポイント利用とは一体どういったものになるのですか?」
「はい。ポイントによって私達が来世にて提供出来るものは出会いです」
「出会い?」
「はい。出会いです。良い人生を送る為には出会いが全てと言っても過言ではありません。それを偶然では無く確実に指定された人物と出会える様にします。こちら参考までにご覧下さい」
山田青年はそう言い私に一枚の紙を寄越してきた。
一位、初恋の人 二位、初めての恋人 三位、好きな芸能人
「それは、これまでの皆さんの傾向を集計したものです。意外と思われるかもしれないですが結構皆さん初恋の人を選ばれるんですよね。やっぱり実らなかった想いと言うのは大きくなるものなのですかね。この辺りなら比較的ポイントの使用も少なめで済みますし」
「おい山田!それは見せたらダメな資料だ。選択に影響するだろ」後頭部から殴られるかの様に山田青年はまた先輩らしき人に注意された。
「あ、そうか、しまった。すみません。田中さん申し訳ないです」と山田青年に集計表の紙を取り上げられた。
「いえ大丈夫です。ちなみに例えば初恋の人を選ぶとすると、その人は全く同じ人間なのですか?生まれ変わったらその人は別人なのでは?」
「えぇっと。そうですね。あ、これは説明しても大丈夫なやつだ。いえ、同じです。基本的に来世でも人は人。動物は動物のままです。育つ環境などで多少変化はしますが、基本的には同じ姿です」
「なるほど。そういうものなのですね」
「はい。そういうものなのです。補足ですが、成功者と言われる人は、来世でも成功出来るとは限りません。成功とは出会いやタイミングに左右されがちなので才能が埋もれてしまう事は多く見られます。その辺りも加味して出会う人物を選んで貰えればと思います」
「なるほど。分かりました」
「ありがとうございます。では、お決まりになられましたら、こちらの用紙に御記入の上提出をお願いします。お好きな施設でじっくり考えて頂ければと思います」
「いえ、大丈夫です」
「え?」
「妻でお願いします。」
「えっ、妻?あ、はい。えぇっと。少々お待ちください。田中さんの奥さんですよね、はい。田中美香子さんですね。旧姓が吉井美香子さんですね、へぇ珍しい」山田青年は手元のパソコンのキーボードを叩きながら私に言った。
「珍しい?」
「あ、すみません。えっと、案外妻とか夫って選ばれる方は少なくて。」
「そうなのですね。」
「はい。多分ずっと連れ添い過ぎて嫌になっちゃうとか、飽きちゃうとかなんですかね?痛っ!」
山田青年は先輩らしき人から鉄拳を食らっていた。
「大丈夫ですか?」
「はい。すみません。田中さん良ければ理由などをお聞きしても良いですか?」
「私は生前、妻にさんざん苦労をかけてしまいました。こんな私に長年付き添ってくれた妻には感謝しかありません。それなのに、ろくに妻孝行も出来ていないまま妻に先立たれてしまって、こんな機会を与えて頂けるなんて長生きはしてみるものですね。まぁ「またお前か」と妻には嫌がられるかもしれませんが」
「はは、なるほど。かしこまりました。でも、それですと大分ポイントが余ってしまいますが少しの間でも「桃源郷」のご利用とかは良かったですか?」
「いえ、大丈夫です。直ぐに。でお願いします」
「はい。あっ、田中さん。奥さん嫌がって無いみたいですよ」
「と言うと?」
「田中さんご指名ですよ。ほら」笑いながら山田青年はファイルを私に見せて来た。
「山田!いい加減にしろ!」
「すみません!」