<経営の話 ボンジュールタナカ>
<経営の話 006>
ボンジュールタナカ
私にとっては黒歴史を象徴する名前です。
昭和51年にその頃珍しかった国道沿いのロードサイド店舗として華々しくオープン。
西洋のお城風の外観、洋菓子とレストランの併設。
それはそれはモダンだったことでしょう。
大人になって会う地元の人からは
昔ボンジュールでお子様ランチ食べるのが大好きやった
とかなりの人から言われます。
ティラミスを地域で一番最初に作ったり、
ケーキバイキングしたり(これは売れなくなって来た頃の苦肉の策)
全国のロードサイドがどこでも同じようなチェーン店で占められる中
それなりに頑張ってはいたと思います。
お袋も朝から晩までよく働いてくれました。
やはり時代の流れというか食品業界の品質向上の波には勝てません。
主役は街のケーキ屋さんからパティスリーになり
ナポリタンからイタリア料理店になっていきました。
どちらもそれはそれで魅力があるのはよくよく知ってます。
でも、やっぱり煎餅屋が片手間でやってるのと
日々探求し、センスにあふれ、人生かけてる若い人と
勝負にならないのは目に見えています。
そして、両親が洋菓子レストラン経営に精を出してる間、
煎餅はなおざりにされていました。
電話一本で完成された煎餅が納品され、
黙っててもそれなりに売れて行く。
祖父が存命中はまだ自制があったんですが、
93年以降、煎餅屋としての矜持は完全に崩壊しました。
ちょうど大学で上京して、実家を離れていた時期なので
帰省するたびに崩壊の進行はよくわかりました。
しかし、なんとかしようとするような出来のいい息子ではありませんw
思う存分、好き勝手に遊ばせてもらいました。
そのツケは入社後に来ます。
あまりの崩壊ぶりに驚愕しすぎて、どわわわ〜ってなったの覚えてます。
私にもっと力があれば、全部をうまく立て直す方法はあったのかもしれません。
冷静に温和にことを進めていたら、もっと平和に良い結果が出たのかもしれません。
けど、その頃の私は怒り心頭、煎餅をまともに焼けないお店が
洋菓子やレストランやってる場合じゃねーだろゴルァとしか考えられませんでした。