<経営の話 黒歴史その1>

<経営の話 002>
なぜ「潰れなきゃ何やってもオッケー」と考えるようなったか。
と言う話。
完全な黒歴史だっw

私が実家である田中屋せんべい総本家に入社したのが2001年の春。
大学卒業後、2年間スキーの選手として専念させてもらって、
その後3年、名古屋の老舗和菓子店で製造の修行に入らせてもらった。
真面目だか不真面目だかわかんない生活を送って、
何となく実家の家業に入った。

27歳だった。社長は親父。5店舗を直営。
現在のファクトリーショップではボンジュールタナカというファミレスと洋菓子を中心に営業していた。
ここは昭和51年に時代を先取りしてオープン。めちゃめちゃ流行った。
生ドラもめちゃめちゃ売れた。らしい
地元の人はこのイメージも強いかな。
その他、葬儀場の近くにお供えや伽見舞い需要を狙ったお店、
神社の参道に参拝客に甘味を提供するお店、
地元百貨店のテナント、そして本店。
売上構成比はせんべい5、洋菓子2、喫茶2、その他1くらいだったかな。
バブル崩壊以降、売上が下がったからといって2店舗増やしたにも関わらず
結構な勢いで売上は下がり続けていた。

今思い出したけど、その頃全従業員に向けて売りたい商品アンケートをしてもらった。
忖度もあったろうが、全員1位はみそせんべい。
以下いろんなお煎餅が続いた。
そんな中、唯一社長がほとんど洋菓子をラインナップ。
頭抱えたわ〜

その頃田中屋のお煎餅は祖父が育て独立した職人さん7社から買っていた。
自社製造は1割程度。
電話すれば、必要な枚数を焼いて持ってきてくれた。
しかし、その職人さんたちは全員60歳を超えていた。

入社して一番最初にヤバいと思ったのがこれだった。
「売り物が作れなくなる」
そして、売り物が何か?理解されていない。
というか経営者と従業員の認識が完全にずれている。
またまた頭抱えたわ〜〜

売上は下がる一方で、ごく近い将来一番の売り物である煎餅が作れなくなる
としたら、どうしますか??
一年一年の利益を優先しますか?

ちょうど時間となりました〜続きは次回。

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