<経営の話 ニッチじゃなくレッドリスト>
<経営の話 035>
承前)両親は煎餅屋の跡取りとして正しく育ててくれたんだけど、
その両親が煎餅屋の道を外れていったわけだ。
息子としてはなかなか複雑だ。
洋菓子や水まんじゅうなどの日販品は商圏が狭いので
地域全体のパイが限られている。
ただでさえ地域での競争が激しいところに実力ないお店が
のこのこしゃしゃり出てって何ができるのか?
小さなパイを奪い合って誰が得するのか?
フリースタイルスキーのエアリアル競技を大学に入ってから始めた。
スキー履いてでっかいジャンプ台で宙返り何回転何回ひねりとかする
とっても頭の悪い罰ゲーム的競技だw
しかも、私はスキーも体操もほぼ未経験だった。
それが全日本選手権にも出場させてもらい
表彰台にも上がらせてもらった。
へなちょこがそんなことできたのはなぜか?
すっげえセンスがあったわけでもない。
身体能力が高かったわけでもない。
答えは簡単、競技人口が圧倒的に少なかっただけだ。
その頃モーグルがブームになり始めて
急激に競技人口が増え、W杯で表彰台に上がり始めたり
レベルアップも凄まじかった。
98年長野五輪の里谷多英金メダルはその積み重ねの賜物だ。
一方、エアリアルは日本全国で競技人口が30人以下。
ワシントン条約レッドリスト入り確実の希少競技。
恐怖心を乗り越えさえすれば、へなちょこでもそこそこできた。
学生で練習時間が確保できたのも大きかった。
同じことモーグルでやってたら、草大会の予選通過もままならなかっただろう。
野球やサッカーだったら、、、、
そういう意味で煎餅屋で良かったなとつくづく思う。
和菓子屋に生まれてたら、きっと今みたいなポジションにはいないだろうし
技術的な面でコンプレックスしか感じられなかっただろうな。
だから、どの分野のどんなところで勝負するかって
経営者にとってめちゃくちゃ大事な選択だと思う。
んがしか〜し、ピンチは引退してからやって来た。
あまりに競技人口が少なすぎて、競技自体の継続が厳しいのだ。
いろんなプロジェクトがあったり、
体操競技から転向した苦労人、田原直哉選手が
メディアで大きく取り上げられるようになって
一部では大変盛り上がって非常に嬉しいが
そもそも始めるハードルが異常に高い競技なので
なかなか競技全体として盛り上がるのは難しい。
煎餅も新規参入者はほとんどいない。後継者不在で廃業多数。
絶滅しないように、私は何ができるのであろうか?
後に続く人たちに希望の光を見せられるのだろうか?