<コロナの夜に 慎太郎伝説>
<コロナの夜に 013>
個包装の話。やっぱいろいろ意見あるよね〜
となるとここで急遽、山形乃し梅本舗佐藤屋 八代目
盟友、佐藤慎太郎氏にご登場願わねばならない。
2014年の本和菓衆の2年目。日本橋三越地下銀座線口。
「あなたんとこ大きな羊羹ばっかりで、一人暮らしの年寄りには食べきれないのよ。不親切ね。もっと小さいのはないの?」
としかめっ面で語るおばあちゃん。
「僕の作るお菓子はみんなで楽しく食べてもらいたいと思ってるからわざと小さくしてないんです。
おばあちゃんにも友達おるやろ?
羊羹屋にでっかい羊羹売りつけられてるから一緒に食べようって電話しなよ!」
「そんな友達いない。」
「いや、絶対そんなはずはない。ケータイ探して電話してみなよ!」
と言ってその場でケータイを取り出してもらい、なかば強引に電話を促す。
「連絡ついたわ。じゃあ一本買ってくわよ」
苦情になるんじゃないかと遠巻きに見守っていた三越の社員は胸をなでおろすw
翌日
「あんなに楽しい時間を過ごせたの久しぶりだったわ。あなたのおかげ、ありがとう。」って
嬉しいお礼の言葉と笑顔をお返ししてくれただけでなく
たくさん羊羹を買って帰ってくれましたとさ。
そして、そのおばあちゃんは佐藤屋の大ファンになり、東京でイベントがあるときは必ず顔を出し、大量に大きな羊羹を買って帰るようになった。
猫背でこわばっていた表情が年を重ねるたびに背筋が伸び、笑顔が増え、社交的に変わっていくのを実際目の当たりにした。
私も仲良くなって一緒にイベントやるときは必ず挨拶して、
年金暮らしだから少ししか買えないけどって田中屋でもせんべい買ってってくれる有難いお客さんだ。
毎度ながら、とても考えさせられるエピソードだ。
顧客ニーズという話が出るたびに、ホントにそれはいいことなのか?という問いかけとして話題にしている。
「一人じゃ食べらきれない」の課題に対して
「個包装にする」という解を出すのか
「みんなで食べる」という解を出すのか
全く別な角度から新たな解を用意するのか
それぞれに得るもの、失うものがあって
一企業はそれぞれの答えを出す。
消費者がそれに支持・不支持を出す。
いつのまにか気がつくと社会は変容している。
これは立派な社会問題な気がしている。
自己責任、地域ネットワークの分断、人間関係における距離感の身体感覚の変化
これまで日本が選択してきた社会が反映されてる。
我々は社会をどうしていきたいか?買い物を通じても投票している。
逆を言えば、商品のあり方一つでも社会と繋がっている。
商品のあり方一つで社会を変えられる可能性がある。
ということでもある。
一人一人が今の利便性と未来のための一手のバランスを
どうやって取って行ったらいいのか、、、
考えないよなw
そんなもんとして、どんな方法があるんだろうか??
もがいてるなう。