Re:この秋のプレイリスト 1【B‘z/イルミネーション】
(ドラマのネタバレを含みます)
NHK朝の連続テレビ小説「おむすび」が3週目に入った。1週目では高校に入学した、福岡糸島の農家の娘である米田結(橋本環奈)が姉、歩(仲里依紗)の作った伝説のギャルサー「博多ギャル連合(ハギャレン)」の現メンバーたちに加入を迫られ、なんだかんだ友達になるという展開(活動の中心が天神なので、そこは博多じゃないじゃんとかそういうことは言わない)。2週目ではそのギャルたちに振り回されつつも、彼女たちの本質に触れ、どんどんと「アユの妹」から「結」として触れ合っていき、続く3週目で周りの人たちの夢に触れ、と高校入学後の多感なお年頃の女子高生物語を、同世代民としてとても楽しく、ちょっと懐かしく楽しませていただいておりました。(急な敬語)
OPがB‘zのイルミネーションという曲で、ドラマを見始めて初めて聞いたときは、B’zのお二人からすべての人に寄り添う「応援歌」としてとらえていたのですが、(https://note.com/princekappa/n/naf9524824fea)この3週でちょくちょくとフラッシュバックしていた「神戸」の記憶。そして、4週目に入り、2004年からちょうど10年さかのぼった、神戸時代を振り返る物語が始まりました。
4週目月曜の放送では、姉の歩が急遽糸島の実家に帰省。家庭内で相変わらず好き放題する歩だが、髪を黒く染め、外部との連絡を遮断する様子。しかし、歩がすこし外を歩けば糸島じゅうの話題となり、「伝説のギャル歩、帰省」の一方はすぐにハギャレンの現役メンバーの耳に入る。歩に憧れたメンバーたちは、米田家を訪ね、自分たちが今もハギャレンを守っていると挨拶に行くも、憧れていた歩の口からは「ギャルなんてダサいからやめな」「ハギャレンとか死ぬほどハズいからとっととつぶしちゃいなよ」という言葉が。この言葉に結がブチギレ。涙ながらに姉と喧嘩する結の、作中で初めてといっていいほど感情を表に出しまくった姿に、朝食をとりながら観ていた僕も大号泣してしまいました。減塩みそ汁なのに、しょっぱいぜ・・・。その喧嘩の中で初めて登場した「真紀」という名前。
火曜日(10月22日)の放送から、1994年の神戸を描く回想が始まる。
商店街で理容院を営む米田夫妻、当時5歳、セーラームーンが大好きな結と、中学生の歩は、歩の親友で同じ商店街の靴屋の娘「真紀」ちゃんとよく遊んでいた。真紀ちゃんは、安室奈美恵with SUPER MONKEY‘SのPARADISE TRAINの8cmCDを「好きな曲」と、プレゼントする。商店街の有志から、アーケード化を進める旗振り役を父・米田聖人は託されてしまい、よそ者の自分だけど、受け入れてくれた神戸の街への恩返しをと、反対する真紀の父の説得に回る。真紀の父は激高し、娘同士に絶交するよう強制する、、、といったところで今日の回想シーンが終わった。最後に描かれた季節は1994年のクリスマスごろだった。
翌年1995年1月17日には、阪神淡路大震災が発生。その日が近づいてくる。
ここで、おむすびの主題歌「イルミネーション」を振り返ってみます。(殴り書きで恐縮です)
「君の一番好きな歌を聴きながら進もう」
もしかして、これは真紀ちゃんが歩にあげたCDのことじゃないか?
「暮れ残る空の下 浮かぶ山並み」
明け方、神戸の山々のこと?
「曲がりくねった道を」
地震で曲がってしまった道路が浮かぶ。
「夢にみたイルミネーション」
「誰かが誰かのために灯す」
震災復興と追悼を込めた「神戸ルミナリエ」や、「献灯」を指している?
「狂おしき 鐘が響く」
ルミナリエにある希望の鐘を指している?
と、抜粋した解釈と独断と偏見でしかない文章なのだが、もちろん、#朝ドラおむすび で描く現代を生きる人への応援歌としてのニュアンスも持ちつつ、被災者への鎮魂を込めた曲なんだと少しずつ理解できるようになってきて、この曲に込められた想いの深さにただただ、震え上がった午前中を過ごしていました。
(タイトルのおむすび自体も炊き出しのことだろうし)
戦争の描写がなくて、なんとなくライトな気持ちで、明るい朝をなんて思っていたのだが、とんでもないのめりこみ要素のこもった「連続テレビ小説 おむすび」。益々目が離せないとともに、大切に聞き歌いたい一曲が増えました。
完全に余談なんですけど、仕事でもいったことはありますが、プライベート旅行でも兵庫・神戸の震災遺構(モザイク地区や淡路島なども)、ひとと未来防災センターを巡ったことがあります。熊本地震も身内が経験し、災害の多いこの国で、いつどこでどうなるかわからないのは、みな一緒。現在も苦しむ北陸の被災者の方々をはじめ、各地に心を傷めている人たちがいることと思います。あまちゃんもそうでしたが、結構観ててトラウマな場面もあると思うのですが、目をそらさず、自分事として受け止めることも大事なことだなと思っている次第です。