はしかと鳥フルエンザと謎の肺炎@東亜Ⅱ
読者の皆様こんにちは。連休明けでだるいかと思いますが午後芋がんがってくらはい。
漢字成立が4000年前@商王朝(まだ象形文字の形でフォントとして固定せず)現在の形になり普及が3000年前@周王朝(史記@司馬遷や十八史略・呂氏春秋等複数の裏付けがとれるものから、微子兄こと商尚(紂王こと商紂の総理大臣を務めていた)と斉公(姜望こと太公望)が商王朝の文字を簡略化して普及させたという金刻文が青銅器@故宮博物館を始め、公式文書に残る為) ・漢音(東アジアの公用語)が出来たのが2100年前@漢王朝・ 旧字体や唐音文語体≒現在の北京語や普通語が出来たのが1800年前@三国志&三国史記 これは蔡倫による紙の発明・普及を除けば特に説明不要と判断
資料が竹簡から紙に代わって資料が膨大に増え、また記録速度や精度が飛躍的に向上したのは蔡倫の貢献が大きいだろう(後に活版印刷発明@高麗と普及&黄表紙@関西による現在の日本の文化大国化に関しては後日書く予定。)
さて、蔡倫のおかげで記録が容易になり軍人日記も義務化されたのだが、赤壁@荊州に、総曹孟徳により真っ先に威力偵察という侵略の一番乗りに派遣された郭祭酒(軍師)の日記からの引用をば@三国志・三国志演技・魏史より
「なんか迷子になるアル。ここ荊州がアウェーてこともあるが指南(方位磁石)がぶれるアル!地図はちゃんと測量されたものだから地図を見るべきだが、それにしても太陽も月も北斗(≠の拳 北斗七星@こぐま座)も南斗(六星@竜骨座 カノープス)も10度ずれてるアル!!太極劇化@孫武・老子が起きているならこれを全軍に周知しないと!それにしても咳が酷い!!!」
現在もそうだが、当時国防上の理由から詳細な等高線や地形図の入った地図と三角点測量図を閲覧・使用できたのは宰相≒丞相≒総理大臣・元帥以上と限られていた。三角点や等高線は、大抵万里の長城とか非常用食糧庫・楼台(日本で言う岐阜城や江戸城本丸≒現在の皇居)の地下といった場所に分割して保存されていた。
三国志では「虎符(くぁふ)」として登場する「携帯型の狛犬」アル。日本でもシーサー@沖縄県や長崎県や神戸市で見ることができる。据置型だがw
「咳が酷くなり、今や高熱で意識も危うい。曹植(長男)も曹儀(次男)も曹丕(文徳・三男)も心配してくれ有難いが、事の重大さを理解しているのは曹丕文徳と司馬仲達と馬超のみというこの状況を、総曹(孟徳)丞相は理解してくれるか心配アル(´・ω・`) 郭祭酒の人生最期の日記より。
後にこの携帯型シーサーが騒動の重大な原因となるアル。続きは明日アル(`・ω・´)ゞ
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