はしかと鳥フルエンザと謎の肺炎@東亜
こんにちは。午後芋眠い時間ですが気張って乗り切ってください。
北斗の三国志ヒャッハー!@中国大陸が飢餓で人口の80%仕分けが起きた原因だが、これも羅漢中や十八史略を読むと意外と簡単。まず農政の失敗。
気候的な問題も絡んでくるのだが、起源200年≒三国志&三国史記&邪馬台国首都壊滅及び東遷の時まで「寒冷化による旱魃で水不足」が起きている。これも東工大と東大のテロメアコンピューターによる「プラントオパール」解析の結果、「温帯から北にしかないはずの水芭蕉」やブナの花粉が東京・神奈川・名古屋@日本・上海市@中国・大邱市@韓国で見つかった!
「夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬🎶」の水芭蕉、あそこ夏でも寒いねぇwブナや針葉樹ばかりで椚が生えてないww田んぼもないねwww 稲≒米の産地は熱帯雨林の高原だから栽培できるわけがない(`・ω・´)ゞ
で三国志の後漢に戻る。当時は主食が粟から小麦や米への移転時期だったが、粟は水不足には強いが栄養素を使い切る為連作できないし耐寒性✖。 小麦はまだ品種改良中で多収量の品種を独占していたのは諸葛亮一族だった(彼は天才軍師の代名詞化しているが、農政や内務が一番優れていると羅漢中どころか、総曹や孫権が賞賛していることもあまり注目されてない)
さて、温帯の岩手県や青森県や北海道南部を見てくれ。小麦畑が圧倒的ではないか!まっしぐらやはえぬき等耐寒性の凄い品種は遺伝子組み換えby味の素GEフーズだし(ボソ バイオハザードを作る技術は当時流石にないなww東海道新幹線と東北新幹線に乗る時車窓を背景にスマホか、ちょいと見るだけの差で適地適作@小学校レベルの地理(気候)・生物(植生)に気付くか否か。
流石に後漢の皇帝も農政の失敗には気付いてはいたが、寒冷化&旱魃にはちょっと対抗策がない。そこで折角占領した穀倉地帯の楽浪郡≒現在の満州・北朝鮮南部の屯田開拓を諦め、当時の事実的支配者だった朱蒙王(とぅもおう)に返した。戦っては連戦連敗を繰り返し大赤字+軍人損耗が主な原因by 後漢書・淮南子・三国史記(この3つは85%以上の精度を誇る史実として、東洋史を扱う上では欠かせない。)
さて、楽浪郡という種をまくだけで収穫できる農地が無くなった後漢が次にとったのが荊州≒現在の江蘇省蘇州市・上海市以南への侵略≒ヒャッハー!何も理由なしにヒャッハー!するわけではない。先の3つや三国志に十八史略に史記に戦争論(クラウゼヴィッツ著)と、身近な愛読書を見る限り 「食べ物に困る≒飢餓無くして戦争なし!」という史実は鉄板だ!!
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