はしかと鳥フルエンザと謎の肺炎@極東 茸る為にⅢ
読者の皆様こんにちは。本郷駒込中の人&中山会&マタタビ1号が引き続きよろしくお願いいたします。
前回の「ミリ飯に酢豚で劇症肺炎の赤壁を生存」、病み上がりで歩いて逃走する総曹孟徳丞相を防衛したにもかかわらず猜疑心を抱かれた司馬仲達だが(これは三国志&三国志演義にもそのまま転載されているので)何故彼が?
古典を学びミリ飯でパンデミック防衛をする頭、というか分析力・科学力があったからだが、名前の「司馬」にヒントがあるのではないか?
司馬遷@史記の作者が先祖にいる程の「少なくとも1200年間過酷な中国大陸の中原を生き残る」程度の生存能力は凄いアル。司馬遷が史記にて多少自己紹介をしているが「子供の頃から乗馬で牧畜・牧羊」をしたと書いてアル。
さて、ちょいと当時の世相・常識@三国志の世界について。将軍は非常時のみ兎馬(UMA) 一瞬オカルト?と思うが「ウサギの様に飛び跳ねる馬」て意味
≒サラブレッドの先祖。駿馬)に乗るが普段は輿≒鋼鉄で防御された神輿や電車≒同じく馬も戦車も鋼鉄の装甲で防御」に乗り指揮・采配する」のが当時の常識だったアル。「細部を見落とすと」リアルな戦場はわからんアル!
まぁこれは劉備玄徳や孫権が白馬に乗る一方で、諸葛亮(孔明)が輿に乗って登場していることに気付けば諸葛亮孔明>劉備玄徳@蜀軍 てことは解るw
実際に三国志や後漢書を読むと「諸葛亮故大丈夫、不在兎馬而乗輿」=諸葛亮は大丈夫=背高杉晋作で兎馬に乗れなかった為、(不本意ながら)輿に乗り采配せざるを得なかったアルw 185㎝って今でも凄く・・・大きいです(AAry