祖母と私の二人旅⑥+兄

ポンペイの遺跡

私は今でこそ色々な国や文化 歴史等に興味を持ち

テレビを観るでも 外国の旅番組等をつい

観てしまうようになったのは

やはり自力・単独で異文化と向き合う事が出来た

”遺跡への小さな冒険”が今の私の人格を作り上げたのだと思います

その頃 高校生の私なんて 

テニス選手のステファン・エドバーグのラケットの

グリップサイズの事と

”機動戦士ガンダム 逆襲のシャア”のプラモデルが

上手く作れるかどうか?が人生最大の争点で

外国への旅なんて”兼高かおる 世界の旅”位しか

身の回りにありませんでした

だから 視野を広げてくれた

兄とポンペイの遺跡には感謝の気持ちがあります


ポンペイという街はローマ帝国の都市で

街の近隣にあったヴェスヴィオ山という山が噴火し

火山灰や火砕流が街を襲い 

大勢の人々が犠牲になった所

ポンペイの遺跡は街全体が石造りの為 火山によって消失させられず

そのまま2千年前の様相をうかがい知ることができます

街中 何故か小さな運河だろう と思われるような物が 

家々、店店(?)

建物と言う建物の間に張り巡らされ

その運河を渡る為だろう 飛び石が 所々にあります

後に知ったが その運河が街の下水道の役割を果たしていたらしい

(汚物が常時露出していたってことでしょうか)

遺跡内には火山で犠牲になった人々の人型をした

模型?のようなものもあちこちに置かれ

当時は”悪趣味だな~”と思ったものですが

実は火山灰に埋もれて実際亡くなった方々の身体が

灰の中で朽ち果て その積もった灰の空洞になった所へ

遺跡発掘をしていた方が石膏を流し込んで出来たものが

その人型なのだそう 

亡くなった方の中には食事中だったのか パンの様な物も

傍に見受けられました

 

私はせっかく来たのだから!とやたら歩き回り

写真を撮りまくり(真夏だったせいもありますが)

汗かきまくりダラダラながらポンペイの遺跡巡りの

一人旅をやり切ったと思いました

一つ 困った事がありました

イタリアでは水道水が直接飲む事が出来ない為

全てペットボトルの水を買わねば水が飲めません

遺跡周辺でも露店で水は売っていたのですが

基本あちらでいう”水”と言えば

炭酸入りの物が普通で 例えばレストランでも

「水をください」と頼むと炭酸入りの水が自動的に出てきます

しかし 当時の私は

炭酸が飲めない高校生だったので(口内が貧弱)

飲み水に困りました

帰路

ポンペイの遺跡巡り後

”小さな ならず者”がたまたままた

私と接触してしまわないか

それだけが心配でしたが

彼等に遭遇することもなく電車・列車に乗れ

無事ローマで待つ

兄と祖母の元へ帰る事が出来ました

兄は開口一番

「おっ 凄いな! よく戻った!」

兄の言葉が異常に嬉しかったのでした

その日の夕飯は”よく一人で旅してきた 会”が

レストランで催されました

祖母も兄も「勇気があるなぁ」「行動力あるよ」褒めてちぎりです

私も自分をとても誇らしく思いましたが

照れも手伝って逆に「大した事なかったよ~」と語り

”小さな ならず者たち”に絡まれて辛い思いをした事を隠し

英雄気分を味わいました

しばらくして頼んだ食事が運ばれてきました

美味しそうなアツアツピザ

私の頼んだピザだけが中が冷たい位の生焼けだった










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