青森
美濃の翌日、実家に帰ってすぐ、母に青森行かない?と持ちかけると、とんでもないと真っ先に拒否してきたが、だんだん東北はコロナ前から憧れてたのよね〜とまんざらでもなくなり、年越前には、「やっぱり行こうかな?」「やっぱり行きたい!」とはじまったので、飛行機と宿をとった。
そして年を跨いで、能登で震災、羽田で飛行機事故と、凄まじく日本が揺れ動く。普段TVをみないから、余計にかもだが、この夕方からの速報を、ずっと見守った。
ぼくらは1月15日の青森フライトで、もうしばらく日があった。被災地への遠隔宇宙マッサージをし、だんだん被害の全貌があらわれて、全体をお祈りしていった。
青森行き当日、静岡の実家を路線バスに乗り、三島経由の品川、羽田へとすすむ。
母が三島の改札でキップを取り忘れたりと、歳もあるだろうが、天然の方違えがつづく。
慣れない小さめのスーツケースを転がしながら、母の憧れだったという羽田空港に着く。
ブランチ気味の和定食を食べ、出発時間まで、まだだいぶ時間があるので、どこを見たいか聞くと、展望台に行ってみたいという。
エレベーターをあがるとすぐ、壁にSIRIUSの文字が光り、メッセージのように感じ、写真を撮る。
展望台への自動ドアがみえ、手前にトイレがあったので、「トイレに行きたいから先にいってて」といって、別れた直後、聞いたことのないような打撃音が聞こえ、まさかとおもい、すぐ戻ると、母が、うつ伏せにうごめいていた。
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