はじまりの久高
朝5時に起きるとすぐに、スキが5500になりましたと、noteから連絡がきた。
うれしくてこんなポストをした。
身支度をすませて、ユウコさんの運転で、高速を南にむかう。
この頃、沖縄の朝は、高原のように冷んやりしていて、風が透き通った壁のように冷たい。
日があがる直前の沖縄は、みたことのない神秘的な美しさがある。
直接宇宙マッサージにきていた東京の方が、沖縄の涼しさに驚いていたので、やっぱりポールシフトはゆっくり着実にはじまっている証拠かもしれない。
温暖化というには、不自然な気候変動を感じる。
港のある海岸線を走り、10年ぶりの久高島がみえてくる。
目の前の南部の山の丘がキレイなゴルフ場になっていて、光をあつめて、アイスランドにある孤島にポツンとある美しい家をおもいだし、ユウコさんに伝えたが、知らないようであまりピンとこないようだ。
4年前にユウコさんがCafe Unisonの三枝さんと、久高の地元の結回(ゆいまある)の会のおばあたちにガンシナづくりを教えにいった。
そのときに知り合った、ナビィさんに、前夜に連絡してくれて、9月9日は「重陽の節句」で久高は「9だか」だから、この日に電話があるのは意味がある、明日はちょうど本島から朝一の船で久高にもどるから、そこで声かけてね、みたいなことを言われたという。
9.9はちょうど、ぼくのマヤ暦の、今年の誕生日でもあり、宇宙タイミングのサインを、ことさらに感じ、うれしい。
この4年前の久高島のとき、ユウコさんが、編みかたを伝えているうちに、神だありのようになってしまった。
ナビィさんに「ウタキを順に巡るよう連れていかれていて」と、東京に連絡があって、遠隔をおねがいしますと突然言わたのは、いま沖縄に住んでいる流れに、多大な影響があったのだろうと、ずっと感じていた。
この頃はまだ遠隔は、遠方の方にだけ、知る人ぞ知る感じでしていて、メインではなかった。
2020年の1月1日の母の誕生日に、たまたま静岡の実家でテレビをつけると、ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯が久高島をとりあげていて、ユウコさんに、ひさしぶりに連絡すると、ちょうど遠隔で久高に付き添ってほしいと言われたときに、ユウコさんたちは港で鶴瓶さんとすれ違っていたらしく、その遠隔の宇宙タイミングの時の放送が、2020年の幕開けの日だったのだ。
待合室にはいると、先に座っていたニコニコしているおじさんが、隣のイスのご夫婦と「読谷の出身かあ」と話していて、ユウコさんが「わたしたちも読谷から来ました」と加わり、ぼくもトイレからもどると、すこしだけ話す。
おじさんは久高のガイドの仕事をしているようで「おもった時に素直に動いたら、神さまがちゃんと助けてくれる」みたいな、宇宙タイミングなことを待合室でみんなに話して、宇宙のメッセージを伝えて、サッと船に乗りこんでいった。
ぼくらも船の2階に座ると、ユウコさんはトイレにむかい、ぼくはぐっすり久高までニーブイした。
ほどなく久高に着いて、デッキに降りると、1階に座っていたというナビィさんと話しこんでいたようで、紹介される。
とっても小柄で、目が青みがかって澄んでいて、可愛らしい、子どものようなおばあだった。
旦那さんと日用品の買出しにいってたようで、おおきい荷物を、もってあげた。
ナビィさんが2019年に巡ったときのウタキの順番をユウコさんに繰り返しおしえてくれたあとに、五穀豊穣とか、指も5本ずつで55だから、ぜんぶ5だよ!5が大事だよ!と5を推された。
それを聞いて、前回の宇宙noteに書いた後醍醐(5醍5)が脳裏に浮かんだが、唐突すぎるので言わずにおいた。
同時に今朝の「スキが5500」も浮かんだが、それも、ぼく自身にとっての大事なサインとして、ユウコさんに話すにとどめた。
さっきの待合室のガイドおじさんが「今ナビィさんと話してたでしょ、あれぼくのオバだよ」と言って、久高で大事なのは3だから。ぜんぶ3でできてる、3が大事だよ!と3を推された。
3と5が大事のようだ。
「お客さんといっしょに、ちょっと聞くかね?」と言ってくれて、港のマップをみながら、説明をしてくれた。
久高の位置関係と、今上天皇が、愛子さまをなかなか授からなかった頃、久高にきて、お祈りをしたら産まれた。秋篠宮ご夫婦も、ここにお祈りにきたら悠仁親王を授かった、という話しをしてくれていた。
おじさんたちとお別れして、ナビィさんのおしえてくれた4年前と同じ順番で巡るのが、今回の久高では大事だと直感し、電動自転車を借りて、巡ってみる。
全部Googleマップにでているので気になった方は、ぜひお試しいただきたい。
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