ただただ、さすっただけでも
結構前から、自分のポストの関連に、ウィリアム・レーネンさんのポストがセットアップされているのだが、同じ星にしばらくいたことあるのかなというほど、発言が近いものが多い。AIの精査からのセットアップだから、だいぶ属性が近いと判断されたのだろう。
セクシャリティに関することでも、近い発言のものもみかけた。
愛しあうことを、濁らせず、美しく、純度をないがしろにせず、より深く高めあうには、パートナーシップなどだけでは限界があるのでは?というのを、最近より深くみつめつづけている。
パートナーシップにフォーカスすると、大概の場合、ドラマチックな展開が押し寄せ、地球の地上での営みの醍醐味のただなかで、チャクラを詰まらせたり閉ざしたり、モヤモヤしたり、気を使ったり、そういったことで揉まれるなかからの地上ならではのストレス由来の、愛の深まりを経験するドラマを、終始ししていくことが多いように感じる。
メイクラブは、ラブをつくること、と感じるので、地上的な目的などに縛られず、時間も概念も欲望も忘れ去るような状態にならないと、純度の濃いラブはメイクされないのだろうと感じる。
家族や親子やパートナー同士で傷つけあったりストレスフルになるなか、ふとした絆がたしかめられ、微量ずつでも深められる愛もあるだろうが、この先地上で重要になってくるのは、愛のみの時間を、愛のみの一瞬や瞬間を、いかに見出し過ごせるかも、大事になる局面がはじまろうとしている気配を、勝手に感じている。
まぐわうというのは、肉眼の目(ももちろん大事かもしれないが)第三の目があう、つまりチャクラがあうということなのではないか、というようなことを2019年に性愛の絵本として描こうとしたが、なぜか運命的な人生の流れでストップしてしまった。
それはもしかしたら、2024年以降なら、伝わることなのかもしれない。
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