見出し画像

DETA 0034 : 脆いメカニック心母

感受性の強い有名人の型は、凡庸人の標的になりやすい法則。

即ち、アンチが多い人(グループなど)こそ本物である確率は異常に高い。

ただし、割合的にファン8 : アンチ2 位でしょうけど、

いつの時代も「出る杭は打たれる」のは必然の流れです。


殊更、ネットという媒体を通じて、一個人の発言や態度に対し、自分が正論とばかりに意見を言う人がおられます。

匿名という仮面の下では己の劣等感がそれらの起因であろうに。

大抵、そういう方たちは総じて見方が狭いのですから、ごく当然の成行きなんだけどさ、

たったひとつの発言で、前後の文脈なんていっさい読まず、多角的分析まで無視してるくせして、単なる自分の想定する先入観のみで、当事者の人格を全否定さえできるのは何故なのでしょうか?

いくら直接的に面識もない関係であれ、あなた誰?の赤の他人に誹謗中傷されて喜んでる類いは非常にレアケースであるがゆえに

執拗なまでに悪態をつく型は、当事者への嫌みを告白することで自分の中に巣食う鬱憤晴らしの標的にしたいだけで、そもそも相手が傷つこうがどう感じようがそんなことは端からどうでもいいのだ。

ただ、度が過ぎてしまえば、終いには当事者自身の命すら奪いかねない程、危険なツールになりえた。


今のぼくにも一部当てはまる要素は御座いますが、少なくとも個人を抽象するような悪趣味に走るぐらいなら、延々と自己嫌悪のループで脳機能をイカれさせた方が百億倍マシさ。

そう、常に自分に向き合い、前進してさえいれば、あらゆる他者に対して無関心になるという視点が欠けてた。

精確には愛のない無関心というより寛容になるのだから、嫌いという感情が生まれもしないだろうし、自然に人のことを赦せるはず。

つまり、自分の虚しさを見ないようにするために他者にその苦しみを投射してるというメカニズムに過ぎないのですが、おかしくなった自覚すら失くして、自制効かない型は、完全に狂人扱い、されるだけ。

その一方で異様に相反してる。

もう何も感じたくなくて、心閉ざして死んでしまいたいと考えてしまうのも脆くも小賢しい自分自身なんだ。

どうやら、まともなふりしてることにも気づかない人たちとこのぼくとは、視点のズレが絶望的なまでにかけ離れている性か、完全に近い確率でうまくいきません。


自由なき領域は、至るところに散見しますね。でも、真の自由なら自分次第でなんとか手に入れられそうです。

ただ、己が自由だと感じれたなら、それでいい。決して、間違ってもいない。

とはいえ、この世を起動する主体が何か?によって、制約された自由へとすり替わってしまいます。

「この世は揺りかごから墓場まで、すべてが牢獄」

そんな自覚なんて殆どの人類には皆無に等しい。

「だから何?」 

そう、己が自由だと思えば、それでいいのでしょう。


実のところ、エゴの下僕であるはずのぼくの精神がまた生まれ変われるためにはまだ幾つもの課題がありました。

もしも、われわれの生命力が強靭ならば、闇すらも味方にするがゆえに純正な悪魔にもなれる。

偽りだらけの天上界の連中らは、どいつもこいつも欲動のスーパーマーケットみたいな脳みそなさすぎ事象で欺けると思ってらっしゃいますので、自由自在にわれわれの思考を操ろうと目論む血も涙も無い狂人集団というのが真の正体デス。

未だかつて、自ら心のないメカニックな人間として生まれ変わりたいと思えた人っているのだろうか?

肉体なき後も意識だけを頂戴して、ちゃっかり飴と鞭を交互に差し出しながら、誘導催眠によって既存の価値観までもを捻じ曲げてしまうがゆえに常にすれ違う感情の重さと引き合わなくなる世界なんて気違いの発想じゃないか。

従って、世界の実存がすべて融和できないはずはなかった夢幻公理を信じる時、脆い心理母胎のフェーズへと逆戻りする。


はあ。ぼくも、なんだかんだで、正論ぶってますか?

ま、そうでしょうね。偽りであれば、どんなに幸福なことか。


いっそ、できることならnoteの大海知らずに済ませたかった。

うん、まあね。ぼく自身ですら読みづらい文章の羅列だ。

やっぱり、ぼくは閃きの天才じゃなかったわけだ。

更新の度に心が重くなるこの感じ。相当、悩んだけど明日に繋げよう。

少なくとも、誰もが読みやすい文章が書けるようになりたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?