進学校に通うも、恋愛にうつつを抜かした高校生活
友達と遊ぶことよりも、一人が好きで勉強は苦にはならなかった私。
中学生時代、私は3人兄弟の中で、一番成績が良かったです。
そこそこの成績だったので、進学校の高校を1つだけ受験して合格しました。
高校生と言えば、将来の仕事に大きく影響を与える、重要な時期とも言えます。
ですが私は、この大事な時期を、恋愛に溺れて過ごしました。
目標もないのに、進学校に入学した訳。
中学校の頃、そこそこ成績が良かった私は、進学校に進学しました。
なぜそこそこ成績が良かったかというと、中学校から定着した一夜漬け勉強法が功を奏したからだと思います。
小学校の頃も、中学校の頃も、将来の夢は誰かのお嫁さん、と思っていて、特に仕事や勉強に対する目標は全くありませんでした。
幼少期から運動音痴で苦しんだ反面、勉強は一人でじっくりできるので苦にはなりませんでした。
宿題や勉強が苦にならなかった私は、兄弟の中で一番成績が良かったです。
よって、親からの多少の期待もあり、とりあえず進学校に進むことにしたのです。
ですが、本当に頭が良かったわけではありません。
本当に、その勉強の内容が身についていたわけではありません。
私は勉強に関しての要領が良かっただけだった、と思います。
中学の勉強内容は、高校に比べてそれほど難しくありません。
参考書などに書いてある要点を理解すれば、そこそこに点数は取れます。
教科書を読んで、参考書を見て何が要点かを探すのが好きだったので、成績が良かったのでしょう。
また、私はその時だけの丸暗記が大変得意でした。
それで、いつもテストの点数は良かったです。
成績が良かったので、将来のことは何も考えず、とりあえず進学校に入学したのです。
うわべだけでは太刀打ちできなかった、進学校の勉強。
進学校に入学しましたが、そこに集まる人たちは、私のような者より、はるかに頭の良い人たちばかりでした。
小学生のころから、塾に通ったり、家庭教師をつけていた人もいました。
ですが中には、塾に行ったりせずに、本当に頭の良い人たちが何人もいました。
もはや私がやっていた、いい加減な勉強では、何も太刀打ちできませんでした。
授業はますますわからなくなり、テストは赤点を何とか回避するレベルになりました。
中学校の学習内容に比べて、急に量が増えたり難しくなったと、感じました。
中学校では上位だった成績も、進学校に入学した途端、あっという間に、300人中280番位に落ちてしていました。
何をやっても無理とわかった私は、恋愛に走った。
成績を取り戻すために、塾に行ったり、家庭教師をつけたりはしませんでした。
特に親からも、成績を上げなさいとも言われませんでした。
一応自分なりに参考書などを買って、時間を削って勉強しましたが、一向に成績は上がりませんでした。
努力と言えば、赤点を取らないことと、ちゃんと進級することでした。
何をやっても無駄とわかった私は、将来のこともろくに考えず、適当にやり過ごしていました。
ですが中学生時代に味わった淡い恋愛が忘れられず、好きな異性をつくっては、振り向かせることに没頭していました。
その好きな異性とは、相変わらず、表面的なものでの判断です。
とにかく私は自分のことは棚にあげ、外見が自分の好みでないとダメなのです。
本当に好きになってというより、誰かかっこいい異性と付き合ってみたい、という思いが強かったです。
高校生時代は3人の好きな人をつくりアタック。そのうち1人が恋愛に発展した。
異性にアタックするのは、小学校の時バレンタインデーにチョコを渡すという経験をしたのが始まりでした。
中学校の時も憧れの先輩に、チョコを渡して一緒に映画を見に行ったという忘れられない経験をしました。
だからある意味、異性にアタックすることはドキドキもするけどワクワクもする。
私にとっては恋愛をすすめる手段だと思っていました。
結果高校生時代は、好きな人を3人つくり、アタックしました。
一人目の人ははサッカー部に所属していて、毎日グランドでボールを一生懸命けっている姿がかっこ良くて好きになりました。
だから、バレンタインデーに、一人になる所を狙って、チョコと手紙を渡しました。
ホワイトデーのお返事は、手紙に
「僕は今、勉強と部活で一生懸命なので、恋愛は全く考えられません。ごめんなさい。」と書いてありました。
二人目の人は、高総体の応援で友達と二人ででかけていた時に、出会いました。
他校の二人の男の子に「写真を撮ってください」と声をかけられたのです。
それから、電話番号を交換して数回、遊んだりしました。
ですが、どうしても外見が私の好みではなかったので、断りました。
三人目は同じ部活の男の子の中で、一番外見が好みだった人にアタックしました。
同じ部活だったので、話すチャンスは沢山あります。
それで、「歌手の○○のテープを貸して」と声をかけ、きっかけをつくりました。
そして付き合うように持っていくために、「今度の休みに家に遊びに行っていい?」と行って家に押しかけました。
進学校の男の子の家の親は、こんなことは初めてだ、と驚いていました。
それを機に、私と彼は付き合うようになりました。
その時は、両想いだったから付き合ったと思っていました。
ですが今思うと、お互いに異性と付き合うのが初めてで、異性に対する興味があるから、付き合うようになったと思います。
異性ってどういう感じなんだろう?と知りたくて付き合った感じです。
その同じ部活の男の子とのファーストキス、そして遠距離恋愛へ。
勉強には全くエネルギーを注がなくなった私は、彼との付き合いにエネルギーを使うようになりました。
毎日部活が終わると、二人きりで下校していました。
人の目も気にせずに。。。
そして学校中の人たちは、私たちのことを知らない人はいませんでした。
やはり進学校では、カップルになる人は少なかったと思います。
1学年男女合わせて300人でしたが、公にわかるようにつき合っていたカップルは、私たちを入れて5組ほどでした。
やはり進学校は、真面目に勉強をする子も多く、恋愛を避けている人も多かったように思います。
その時の私の内面は、好きな人と結婚すると考えていました。
もっといろいろな人と付き合って、色々な男の人を知ろうということは考えもしませんでした。
その当時の彼も、一応続いたら結婚しようと言ってくれました。
ですが高校時代は3年間で終わりです。
人それぞれ、決めた進路へ進んでいきます。
彼は県外の私立大学へ進学。
私は県内の公立短大へ進学。
二人は遠距離恋愛をするしかありませんでした。
高校三年の最後の部活の日、最後の帰り道、3月の満月の夜。
私は初めてファーストキスを、その彼と体験しました。
そして、数日後彼が県外へ引っ越して離れ離れになることを、とことん悲しみました。
涙が枯れるほど、泣きました。
私の心と体は、恋愛という魔力に、吸い取られていきました。
遠距離恋愛が更に二人を盛り上げた。
同じ高校に通って、いつも側にいた彼。
卒業すれば離れ離れになることは、わかっていたはず。
それでも二人の恋愛は盛り上がった。
両方の親も公認の仲だった。
もう好きな時に会えない。話もできない。
当時はスマホもなかったので、
彼の住む寮に電話をかけて呼び出してもらった。
お互い学生の身分。
使ってもいいお金は限られている。
それでも私は寂しくて、両親に怒られながらも長電話をした。
そして月に一度、
お小遣いを全部使って彼の住んでいる所に会いに行く。
親には友人の所に泊りに行くと嘘をついて。
初めて二人で泊ったホテル。
初めて結ばれた経験をした。
お互い初めてだったので、
異性とはこういうものだという感覚が、更に二人を惹きつけあった。
彼に会う時は、天にも昇る気持ち。
彼とサヨナラする時は、魂が抜けたようになった。
もはや私の人生の目標が、彼との結婚だけになってしまった。
彼は、「俺が就職を決めたら結婚しよう」と言ってくれた。
彼は大学、私は短大だったので、私が先に就職をした。
仕事に目標もなく、彼との結婚だけを夢見ていた。
運命の歯車が狂い出した、この恋の結末。
そして待ちに待った彼の大学卒業と就職。
私は結婚を予定してますと、さっさと会社を辞めていた。
ここから運命の歯車が狂い出した。
大学の時よりもさらに遠くへ彼は行くことになった。
今までよりももっと、
会える時間と電話で話す時間が少なくなった。
私はある時、彼に「もう、寂しい。」とつぶやいた。
彼は、「なら、もう同棲しよう。」と。
親公認の仲だったので、私は親にこのことを言った。
親は「手塩に育てた娘を犬や猫のように、簡単に彼には渡せない。
ちゃんと結納・結婚をしてもらわないと困る。」と。
そして私は彼に、同棲はできないことと、私の親の意向を伝えた。
それから数か月、彼が就職して初めてのお盆前。
彼が帰省して、結婚の話が進むことを私は待ちわびていた。
やっと待ちわびた彼との再会。
2人で車に乗って、思い出の山から夜景を見るつもりだった。
だけど私が車に乗って目にしたものは、
私ではない長い髪の毛が、あらわに助手席に垂れ下がっていた。
私は取り乱し、「何、これ!」と叫んだ。
彼は当然のように、
「今俺を好きになってくれた女性がいる。今その人と付き合っている。」と。
「君があの時俺の同棲のを断ったから、こんなことになったんだ。もう遅いよ。」と。
それから私は、どうやって家に帰ったかわからなかった。
親公認だったので、この恋の結末は家族も知ることになった。
それから私が見る世界に、色はなかった。
すべてがモノトーンに見えた。町の景色も空の色も。
食事も喉を通らず、食べ物の味も感じられない。
私は家に引きこもり、ただベッドに横たわるだけの生活になった。
横になっていても、息をするのも苦しかった。
私は人生で初めて、どん底の苦しみを味わった。
もう死にたい、と思っても死にきれなかった。
私が元に戻るのに、ただ黙って見守る家族と、
過ぎていく時間だけが薬になった。
大失恋を経験して、今思う事。
今、私の人生で辛いことの一つ、大失恋の体験談を書きました。
この経験を振り返って、思うことを書いてみたいと思います。
良くも悪くも私はこの大失恋を体験したことで、
様々な感情を味わうことができました。
恋をしなければ感じることのできない感情です。
ときめく・楽しい・そばにいて安心・もっと知りたい
天にも昇る気持ち・恋しい・嬉しい
悲しい・寂しい・不安・悩む・苦しい・無気力・絶望・無価値感
怒り・恨み・固執
そういう意味では、
恋をしないよりは、恋をして良かったと思います。
私にとって、必要な学びも隠されていたはずです。
ただ、今の私が考えることは、
この恋は遠距離恋愛になってから、
ポジティブな感情が、
段々とネガティブな感情に変わっていったという事です。
一言で言えば、この恋は盲目で苦しい恋だったと言えます。
高校生から結婚するまでは、
若さいっぱいで輝く時。
色々なことを経験して成長する時。
将来の目標に向かって前進する時。
このような大事な時を、盲目で苦しい恋だけにしたことは、
とてももったいなかったなあと思います。
なぜ、苦しい恋になったのか?
それは周りが見えなくて、彼に固執していたから。
彼への愛と思い込んでいたことが、実はただの執着だったと思います。
世の中には彼以外にも素敵な男性は沢山いる。
世の中には恋以外にも素敵なことが沢山ある。
そしてその時、もっと未来の自分のために、
やるべきことが沢山あったと思います。
当時の私はそのようなことに、全く気付くことができず、
自分の執着を貫きとおして、どん底の苦しみを味わいました。
だから、人生で一番いい時に、
恋に盲目になって苦しむだけでは、とてももったいないと思います。
もし、苦しみが続くなら、
自分自身の心が少しでも楽になり、幸せと感じることに目を向けて下さいね。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。