【独立・起業のリアル】<序の章 No.10 >士業や専門性の高い業務の人の独立・開業
もう一つとして、具体的な例をもとに士業や専門性の高い業務の人の独立・開業にふれてみます。士業とは、高度な専門資格を必要とする専業の通称で、「さむらいぎょう」と呼ぶこともあります。また、多岐にわたる学びや訓練によって身につけたスキルで独立・開業を果たした方の例を紹介します。
前にも記述しましたが、二〇一三(平成二十五)年七月に『塩原勝美の起業いろは塾 ―新しい自分のかたち 独立・起業への挑戦―』を出版しました。
これは、起業塾や創業セミナーの課題にはあがらないテーマですが、専門業務を通して自身の独立に真摯に取り組み、立派に成果を上げている弁護士の方と企画・編集の仕事で頑張っておられる方の寄稿があったので、掲載しました。その書籍のなかに、筆者の知人や友人十五名の方の独立・起業の経緯を紹介する項があり、そのなかから二名の方を紹介します。
勤務弁護士から経営弁護士への道へ (匿名)
私は現在、経営弁護士の一人として自己の責任によって仕事を獲得し、自らの責任をもって業務を行い、クライアントの信頼を得なければならない立場にあります。そのため、事務所に所属はしつつも、実際には独立採算の個人事業主のような状況にあります。
かつて勤務弁護士といわれる状況にあったときは、経営弁護士から与えられる業務をその指示に従いながら行い、毎月固定の給料を事務所から貰っていました。この意味では、会社の従業員と同じような立場にありました。そのため、自分が仕事をとってくる必要はなく、毎月給料が得られて、生活は安定していました。
ただし、反面、仕事を一所懸命行い良い成果を上げたとしても、クライアントの感謝の言葉も、報酬の支払いについても当然ですが経営弁護士に向けられます。そのため、自分の成果、自分の信頼、自分の責任を意識する場面が少なかったのです。そして、弁護士業務を始めて三年程度が経過した二〇代後半、このままの延長線上で仕事を継続していても、人並みに経験値を上げるだけで終わってしまうのではないかと迷うようになり、昔から漠然とあった海外でチャレンジしたいという想いが強くなっていました。
止める人はたくさんいましたが、考えた挙句、今の安定した状況を一旦すべて捨てて、海外で経験を積み、その後はゼロから自分の責任で自分の「やりたいこと」を積み上げていこうと決意しました。
事務所からは金銭面も含めて、一切援助できないと言われていたため、そこからは資金を蓄え、英語の勉強などの準備をし、実行するのに三年以上を要しました。現地では真冬でも暖房もつけないような生活もしたときがありました。そして、勉学と実務経験に励み、三年程度の海外経験を経て帰国し、今までと全く異なる状況に身を置くことになりました。安定したキャリアが断絶した状態で、ゼロから自分で営業して、仕事を獲得して、仕事をこなし、信頼を得なければなりません。
しかし、三年の海外生活中に、日本の弁護士業界は一変し、司法制度改革に伴う弁護士の過剰供給により、廃業者が続出すると報道されていました。そのため、あの決断は間違いだったのかとも思うこともありましたが、それから数ヶ月、現在は海外経験を活かして、自分が手がけたかった企業の海外展開のサポート業務が軌道に乗りつつあります。雇われ人として与えられた仕事をしていた以前の自分では考えられないことでした。「独立」への志向が大きな変化を呼んだのです。
私が好きな福沢諭吉の名言、「一身独立して一国独立す」。私は現在三〇代ですが、若い世代が「独立」の精神をもってこれを実行すれば、日本を少しずつ、実を伴って変えられると信じています。
『塩原勝美の起業いろは塾 ―新しい自分のかたち 独立・起業への挑戦―』より二〇一三(平成二十五)年七月発刊
ジタバタして、ワックワク! (企画・編集者)
創立一〇〇年を超え、会員数は多い時で十万余りという大所帯の大学同窓会の事務局に籍を置いて十七年余り、私はその大半を会報の編集、講演会の企画、講師付きツアーの立案に従事させていただきました。
部下も付き、そろそろ自らの采配を振るえるようになった頃、「なんで独立?」とは仲間や友人から言われたひと言。下町生まれでおきゃんな性格は、やっぱり「現場が大好き」だったんです。そして二〇〇七(平成十九)年、フリーの「企画屋」として独立し、書籍の編集、ツアーやイベントの企画に邁進する日々を送っています。
幸か不幸か、前職場で企画した書籍の編集が、孫請けというかたちで私のところに里帰りしてきた年。お蔭さまで営業をせず、お金の工面もせずに過ごせた独立一年目。そう都合よく仕事はやってはこないことを思い知らされ、いままでの人脈を駆使して営業を展開、いただいた仕事はすべてこなした二年目。
丁寧かつ納期厳守を徹底し、ボチボチと「ご指名」をいただけるようになった三年目。オフ会に精を出し、お声がかかった会にはできる限り馳せ参じて、名刺交換に勤しんだ四年目。ステークホルダーの絆を強め、仕事を分かち合うことの楽しさ、仲間と達成感を味わえた五年目。
前職場で立ち上げたツアー企画もそろそろマンネリ? そんなとき、仕事仲間の船会社から、クルーズのガイドの依頼があり、講師の解説を門前の小僧ならぬ船上の聞き耳頭巾となって得たプチ知識、活かさない手はないと、有難くお引き受けさせていただいた六年目。世の中の荒波にもまれアップアップしながらも、波間に顔をもたげて「ワクワク」を発見しようと手足を休めず、どうにかこうにか溺れずに、ここまでやってきたように思います。
最後に、私が仕事をさせていただくうえで、大切に思っている信条と言えるようなものを、思いのまま書き連ねてみたいと思います。
一、 女は度胸と愛嬌だ!
二、 物語れるような仕事を生み出せ
三、 迷ったら「ワクワク感」で決定せよ
四、 人間力は最強の武器
五、 人に向き合い、仕事に向き合い、自分に向き合う、真剣に!
六、 何てったって、体が資本
七、 「お蔭さま」を忘れない
八、 三方よし(お客様良し、私良し、世間様良し)
九、 窮地こそ力の見せどころ
十、 足るを知る
十一、自分を信じる
十二、命がけのテーマがあるか
自分の人生を賭けられるほど好きなことがあれば、それだけで人生ワクワクしませんか? 「好き」を極めれば、必ず道は開けると私は信じています。
そして、天職は人から与えられるものだとも思っています。天職を英語で言うと、「Calling」。仕事は自分で選ぶものではなく、人や仕事から呼ばれるもの。そう信じて、ご縁をいただいた皆様にお助けいただきながら、これからも「ワクワク道」に精進していく所存です。
『塩原勝美の起業いろは塾 ―新しい自分のかたち 独立・起業への挑戦―』より二〇一三(平成二十五)年七月発刊