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人生の終わりと旅立ち

「老年について」と言う有名な名著があるそうです。
私はこれを読んだ事は無いのですが、要約して本の中身を動画にしているYouTuberがいらっしゃいます。
それを拝見していたのですが、そのの名言が私の心に残ったので、記録としてここに残して置きたいと思います。
この記事がたまたま目に止まった方の心にこの名言が少しでも届き人生のお役にたてばと思います。



「老人の生をもっとも苦しめ不安にされると思われているのが迫り来る死である。
言うまでも無く、死は万人に共通のものだ。
老人だろうが青年だろうが世代など関係はない。
私は自分の息子を失いどれ程人間にとって死が身近にあるか思いしった。
にも、かかわらず多くの人は迫り来る死を老人だけの問題であると、まるで他人事の様な顔をしている。
老人は長く生きられないが若者は長く生きることが出来る。だから老人には希望が無いと嘆く人もいるだろう。
しかし、老人はすでにその希望達成しているからこそ老人なのである。
過ぎ去ったものは決して戻らず、未来の事は誰にもわからない。
ただ私たちは各々に今与えられている時間を精一杯生き、それに満足しなければならないのだ。
短い人生であっても、長い人生であっても、良く生き立派に生きるには十分な長さである。
老年の報酬とはなにか。
それは、年老いる前に獲得した善きものの豊かさ、その思い出だ。
自然に従って生じるものはすべて善いものである。
老人が余生を全うする事、これ程自然に従ったものがあるだろうか?
木に実ったりんごが自然に地上に落ちる様に、暴力的な力ではなく、成熟が老人から命を奪うのである。

どこかの神様が、お前を老人から幼子に変えてやろうと言っても私は固くお断りしたい。
なぜならゴールの手前で、無理やり振り出しに戻されたくは無いからである。
多くの賢者達がそうあったように、私は自分の生を惜しんで嘆く気にはなれないし、これまで生きてきた事を後悔するつもりも無いのだ。
この世はずっと住み続ける自分の家では無い。
いつか必ず立ち去らなければならない、借りの宿なのだ。
魂が一同にかえするあの輝かしい場所え、私もその内旅立つであろう
そこには、これまで共に語り合った偉人達、そして、この世に生を受けた物のなかでもっとも愛するべき我が息子が待っている。
私は彼の亡骸を葬った。
しかし、あの子は私を置き去りにしたのではない。
いつか必ず私が会いに来ることを信じながら去っていったのだ。
だからあの時からこんにちまで私は心の平静を乱さなかった。
周囲の人々は不幸に耐えてる気丈な人間だと思っていたようだが、それは違う。
自分と我が子を隔てる別れはそれほど長くはなくきっとまた会える日がやってくる。
そう自分に言い聞かせながらこれまで生きてきたのだ。
私は魂の不滅を信じている。
例えそれが間違いであっても、私は信じているのだ。
この絶対的な信念があるからこそ私はずっと幸せでいられた。
そして、これからもそうありたいと願っている。
老年とは言わば、人生舞台の最後の一幕だ。
十分生ききったと思えばその時が幕引きなのだ。
若き友人達よ私が語るべき事は以上である。
後は君たちが年を重ね、今日伝えたことを体験するだけだ。」

どうですか?

私はなぜか涙が出ました。
死とは、老いとは実際自分が味会わないとわからないものですよね。

不安になって、怖くなって、、
でも、なんだか曖昧で良くわからない事象。

そんな感情を少し安心させてくれる様な名言だと私は感じました。


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