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統合失調症患者が思うX(Twitter)について
絶望的な気分の人達
根本的にⅩは絶望感に満ち溢れている。
逆にⅩをやっていて希望に満ち溢れている人は、相当鈍感な人なのではないのだろうか。
特に希望を持ってXをやってはいけないという訳ではないが、事実として絶望感に満ち溢れているのだから仕方がない。
それでも前向きに考えたいという人はかなり困難な道を歩む事になるのだろう。
Xで他の人の文章を読んでいると、自分の書いたマイナス思考の文章がまだ甘いように思えてくる。
世の中、下には下がいる。
言いたい事が特にない人達
言いたい事があってXをやっている人は珍しいのではないのだろうか。
と言うか、そういう自分も初めの頃は言いたい事があってやっていた。
しかし、結局Xはそういうものではないと思い始めた。
何時からか自分も内容のない文章を書くようになって行った。
何も言いたい事がなくてもXに投稿する程度の文章は書ける。
と言うか、伝えたい事があるのならばそれはXではなくある程度長い文章を書いた方がいいのではないのだろうか。
140字で言いたい事を伝えるのには無理がある。
金を払えば長文を投稿する事もできるが、まず金を払う余裕がない。
全体がマイナス思考
そもそも誰がマイナス思考だとかではなく全体的にマイナス思考だ。
私は能力が低く収入も少ないです、みたいなマイナス合戦だ。
あまりプラスの現実があっても投稿しないのだろうか?
マイナスの事ばかり書いているのは、本当に生活がマイナスな状態なのかそれともFFさんと共感したいからマイナスの投稿をしているのか。
ある意味その方が面白いと思ってそうしているのかもしれない。
面白ければそれでいいという発想で、或いは自殺とかもしているのだろうか。
何かXでのコミュニケーションの齟齬からリアルに自殺する人もいるみたいだけど。
或いは、自傷とかしている人もザラにいる。
骨格も内容もない文学
結局、Xでは一般的に文章を組み立てたり内容を伝えたりしない。
文章を構成するには文章が短か過ぎる。
そして、それでもその投稿は成立してしまう。
例えば、noteを書く時には文章に骨格が必要だと最近自分は感じ始めている。
noteも何も言いたい事がなくても書けるが、それだとあまり読者からの反応がよろしくない。
しかし、Xはそういう必要性を感じさせない。
Xはただ何となく投稿して、いいねを返したりしてそれで終わりである。
結論としては、Xは虚無だ。
それがXを始めて4年と2ヶ月ほど経った自分の分析である。
ただ、個人的には特にXを止める気はない。
noteにおける文章の構築も、Xにおける虚無も未だにどちらにも興味があるので。