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憂鬱な自分と、それを俯瞰する自分
持続する憂鬱と、決めた事を決めた通りに
目が覚めると何時も通り憂鬱から始まる。
大概そうなのだが、だからと言って無節操にプラス思考で考えようとは思わない。
人生は上手く行かない事が当たり前で、都合の良い時だけプラス思考にしても結果が伴うとは思えない。
或いはそれは考え方の問題であって、今日書こうと思っているのは現実的に憂鬱な状態が持続しているという事である。
幾らマイナス思考で待ち構えていても、更にそれを上回る憂鬱が襲いかかってくる。
問題は相変わらず時間と金のバランスを取る事で、憂鬱であるのだとしても生活はしなければならない。
或いは、こういう記事を書く事も自分の人生の一部であり書くと決めたら書かなければいけないと思っている。
特に金にはならない記事だが、時間は進んで行く。
決めた事は決めた通りにやらなければいけないのは、或いは時間が進んで行くからだろうか。
やりたい事をやるだけの人生
こうしている間にも時間は進んで行くのだが、それにしても今日書きたかった事は憂鬱についてである。
最近では、体がビリビリするぐらいの憂鬱がある。
実際体内に電気が走っているのではないかと思うのだが。
そうだとしても自分は、仕事もしているしnoteに記事も投稿しなければならない。
これはただ自分が決めた事で、例えば勉強をするとかジョギングするとかそういう事も自分で決めてやっているだけである。
それで何でこういう事を書いているのかというと、ある意味それをやる事が人生だからだ。
やりたい事をやらない人生なんてありえない。
例えば、仕事をするにしても自分はただやりたいからやっているだけである。
ただマイナスの現実を受け止める
仕事を止めて生活保護を受給する事も可能ではあるが。
仕事をするべきか生活保護を受けるべきかとバカな議論をしている人達がいるが仕事だろうが何だろうが、やりたければやるし、やりたくなければやらない、それだけである。
自分は睡眠から覚めると毎日のように憂鬱だが、憂鬱であるという理由から仕事に行かないという事にはならない。
これは自分の判断であり、特に他人に強制する気はない。
最近では、憂鬱な自分を俯瞰する自分が出てきた。
目が覚めて憂鬱な気分から始まるとしても、その状態から少しずつ冷静な自分に変わってくる。
体内に電気が走るほどの憂鬱も、自分はそうして乗り越えている。
実際、明日になったらもう乗り越えられないほどの憂鬱が来るかもしれない。
それでもまたそれを客観視する自分が出て来るだけだろう。
少なくとも自分は、憂鬱な時にプラス思考に切り変えるのではなく憂鬱な現実をただ受け入れている。
プラス思考に逃がれても、憂鬱な現実からは逃がれられないのだから。