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徒然『札幌、神戸、長浜の当然』
神戸の学校には、札幌出身の私には到底理解できないいくつかの謎がある。
― 学校では、上靴を履かない ー
当然、床はいつも埃っぽくて汚い。雨の日はドロドロだ。上靴がないから、下駄箱もない。だから、好きな男の子に贈り物を入れることも、雨が急に降った日に、お母さんがこっそり傘を差し入れることもない。
― 高校受験は、卒業式の次の日 ー
当然、受験を控えた卒業式は、心から解放感に浸れない。そそくさと帰宅し、翌日に備えることになる。受験が終わっても学校でわいわいすることもなく、家で寂しく発表の日を待つのだ。
― 修学旅行の荷物は、事前に持っていく ―
当然、母である私には意味がわからない。
「なんで学校に持っていくん?」
「忘れ物がないかチェックするんやって」
「その荷物、学校に置いておくん?」
「いや、また持って帰るねん」
「はぁ?何それ?」
世にでれば、誰も数日前に忘れ物確認なんかしてくれないのに。
― 中学校に、給食がない ー
当然、三人の子どもにお弁当を作る。中学から高校まで6年間×3×200日…合計約3600個。『お弁当でお母さんの愛情を感じるのです』と、説明する先生もいたけど。
― 給食のお皿は、最後にティッシュでふく ー
当然、お皿にティッシュが山盛りになる。見た目もきれいとは言えず、何とも言えない光景だ。
でも、今や時代を経て、変わったものもあるようだ。お皿をティッシュでふくことは環境問題でアウト。中学校の給食も改革が進んでいる。そりゃあ、そうよね。お弁当で母の愛情をはかるなんて。
ところが、勤務先の工場がある滋賀県長浜市では、通信簿を親が受け取りに行くらしい。放課後の学童保育は、児童館にいる子どもを親が迎えに行くらしい。どちらも働く親たちにはかなり辛い。
札幌、神戸、長浜…その地域に住んでいれば当然のことが他の地域では当然ではない。神戸では当たり前の、私が憤ったいくつかの謎も、時を経て、いつのまにか、小さかった子どもたちと私との懐かしく、愛おしい日々の記憶へと変わってしまった。人間とは勝手な生き物である。