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徒然『六麓荘と団地』

 眼鏡の町、福井県鯖江町。ゴールデンウィークの合間、私たち夫婦は、跳ね上げ眼鏡が欲しくて、その町を訪れた。欲しい眼鏡はなかなか見つからない。都会と違い、夜まで客を待つ店もない。夕方から静かに降りしきる雨が、見知らぬ町での寂しさをいっそう駆り立てる。
 駅前ロータリー沿いの小さな和食屋に入ると、カウンターだけの薄暗い店内には、不愛想な店主と常連らしい中年男性たち。
 夜も更け、店内は、私たちと一人の商売人風の男性だけ。その彼は、店主相手にゴルフの話を声高に、少し興奮状態で話していた。会社勤めの私たちには、ちょっと縁遠いタイプ。そう思っていたら、定番の一声。 

「どこから来られたんですか?」   

神戸から、と答えると、その男性は急に子どものような人懐っこい笑顔を向けた。

「僕、小学生の頃、芦屋に住んでて。あの高級住宅街、六麓荘のすぐ下の団地が当たってね。誕生日会に呼んだ友達が、
『こんな狭い家もいいなぁ』ってさ。お袋がえらい怒ってね。誕生日会は翌年からはなし、アハハ」

「でも何十年ぶりにその団地、思い出したなぁ、ありがとうございます」

そう言って彼は少し遠くに目を移した。家族4人狭いながらも楽しく過ごしてきた日々を懐かしむように。私たちの鯖江の寂しい夜にもほんのりと灯りがともった。

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