心因性失語症

ぼくはたぶん、幼少の頃、部分的に心因性の失語症を患っていた。

学校で人と話せなかった。人が恐かった。

人と話すのが兎に角恐くて。其時ぼくは、ぼくが異端なのだと解りきっていたから。

ぼくは、別に不幸自慢という訳ではないけれど、たぶん、人にたくさん傷つけられてきた。勿論、傷つけた数もいざ知らず。

「空気が読めない」「ky」「天然だよね〜」

何気なかったかもしれないそんな言葉が嫌な程印象に残っている。数ある内の一つのトラウマと言ってもいい。

今はもう他の大多数の人がどういう風に振る舞うのか観察して、想像して、模倣して、克服して。少しドジで天然な人。くらいにはなっているといいのだけれど。

人の脳が一部欠けても他の部位がその機能を代替する。そんな奇跡みたいなことがあるらしいけれど、ぼくにも、少なくとも能力的にはそれが起こったのだとおもう。

だからぼくは外から見て、たぶん専門家から見ても、ただの立派な一般人。マジョリティ。生きるのに苦しまずに済む人。自他境界が曖昧でなくて、人の真似をしなくても済む人。人の気持が判る人。─判り過ぎる時も有って辛いけれど─ そんなもの後天的に、飽くまで論理から派生して感覚的に身につけたものに過ぎないのに。

ぼくは昔のことを殆ど思い出せない。たぶん、いじめられていたんだと思う。

これを敢えて精神医学で定義付けようとすると、解離性の記憶障害ということになる。

まあ、そんな定義付けこそ、ぼく自身の人生にとって余り意味をなさないことは、もうとっくに解りきっていることだけれど。

自分成りに整理とやらができたのか、唯の気まぐれか、何故だか哀愁に浸りたくなった。

たぶん、気まぐれだろう。

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