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おしゃれ
二十四節気は「雨水」に入りました。
まだ寒風厳しいですが、街のショーウインドウは春物に模様替えしつつあります。
パステルカラーの多い春物の服は見るだけでウキウキしてきます。
本格的な春まで、あと少し。
服と言えば…
私をオシャレと評していただくことがあります。
ありがたいことです。
これはひとえに、母のおかげと思います。
母は大阪市中央区の生まれで、都会的センスに磨かれ育ってきたことを感じさせる人でした。
いわゆる大阪のおばちゃん的、ビビッドな柄物使いにも長けており、加えて茶道や華道も嗜んでいたので、伝統的な美意識や知識も持ち合わせていました。
私自身も、服など何でも良い!という子供ではなかったですし、通っていた高校は制服がなかったので折に触れて母から服の選び方やそれを通じて美意識を学んだものでした。
母曰く、
汚い色はない
汚い組み合わせがあるだけだ
これは何か有名な台詞を拝借した可能性が大であることは後に知りましたが、、
大事な教えであったことは間違いありません。
モスグリーンや焦茶、あるいは黒など現実的に汚いものを連想させる色がありますが…
概念としての色に、綺麗や汚いはない
組み合わせ次第で輝かせることもできる
他には、
「藍色とカラシ色」など合わせやすい王道の組み合わせ
服を買う時は服そのものだけでなく、手持ちとの組み合わせも考える
概念的なものから実用実践的なものまで幅広く教わりました。
ジーンズは経年劣化を楽しむ服ということを知って衝撃を受けたのも、母がきっかけでしたし、侘び寂びの美意識に通じていたかも知れません。
高校時代には選んだ組み合わせにダメ出しされたので服を全部取っ替えた、という日もありました。
でも嫌味な印象を受けた記憶はないので…
母は純粋にファッションや色合わせを愛していたが故のダメ出しだったのだろうと思います。
私自身も違和感を持ってのコーディネートだったのでやっぱりそうか… の納得感がありました。
そんな母も還暦を待たずに亡くなり、
娘ができて、
ほどほどのお年頃になると…
自然に、母がそうしてくれたように、娘にアドバイスする自分がいました。
それ、モノは良いけど…合わせるの難しいよ
服選びで意見を聞かれた時に、私が娘によく言う台詞。
言い方の差こそあれ、あぁ同じようなこと母にも言われたっけなぁ… と懐かしさが込み上げてくることがあります。
娘はゴスロリ的なファッションが比較的好きなようです。
そうした世界観に娘を通じて触れられるのは楽しいですし、私の美意識にも刺激をもらえている気がします。
あるいは母も、私との対話の中で同じように感じていたこともあったかも知れません。
母の影響を受けた眼で私が眺め、
私の影響を受けた娘が、その眼で世界を観る。
家風と言うものがあるとしたら…
語り継いでいく美意識なのかも知れない
そんなことを思いました。