クラシックとロックはゴールが違う
ミキシングエンジニアの仕事をちょっとだけ知った。私はオーケストラの打楽器奏者。クラシックとロックはゴールが違うと思った。クラシックにはコンサートがありCDもある。ロックにはアルバムCDがありライブコンサートもある。だけどメインは、前者が生演奏のコンサートで後者が録音アルバムだと思った。
クラシックは指揮者がテンポを作り、全体のタイミングとり、楽器のバランスを調整し、演奏者が日ごろの鍛錬、自分の思いと指揮者の要求を融合させて本番で最高の演奏を目指す。ロックはミキシングエンジニアが、楽器のバランスはもとより、ピッチ、タイミング、周波数スペクトルさえ変えて最高の音、アルバムを作っているそうだ。演奏はどうにでもなってしまう?。ゴールが録音アルバムだからこそミキシングエンジニアの存在が重要なのだろう。エンジニアというより演奏者の域にいると感じた。
音楽は聴くものか、演奏するものか。自分で演奏すると客観的に演奏を聴くことができないのに、どうして演奏したいのだろうと思う。まして、合奏であれば全体の中での自分の演奏を聴くことができない。演奏会の記録として録画・録音はマイク一つでとるので、会場、機材によって実際とはかなり違ったものになる。トライアングルやスネアドラムのように高くて輪郭がはっきりした音はやたら大きく録音されてしまうことがある。それを聴いてしまうと次はもっと小さくしてバランスを取ろうと思ってしまう。なぜなら、その録音を聴くのは仲間である団員で団員も生の音を客席では聴いていない。つい団員からの指摘を避けたいと思ってしまうのだ(実際に言ってくる人はまずいないけど)。
アルバムがゴールなら、到達したものを客観的に聴くことができてうらやましい。
Eテレの「らららクラシック」で『テクノロジーと音楽』という番組をやっていた。AI、ロボットでの作曲、演奏の試みが始まっている。『音源分離』という技術も開発されているそうだ。紹介されていたのは1960年代に録音された第九の音源分離、楽器だけでなく合唱も分離され、画面にはミキシングエンジニアの作業画面と同じものが映っていた。音楽の世界もテクノロジーによりあり方、人間の役割が変わっていく。作り出すこと、演奏することに喜びを感じる人がいることがある意味で救いか。
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