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“自由”について

 ナグです。
(サムネイル画像は「進撃の巨人」諫山創/講談社©︎ エレン・イェーガー)

 昨日の記事で、僕はこう記しています。

“ただ愛すればいい”
という表現がありますが、実はそれは、“自分には愛することしかできない”という意味なのです。これは、なにも悲しいことではないし、だからといって希望が失われたわけではありません。
ここには、自由があります。

20024/10/19「愛すること、愛されること」ナグのnoteより

 この一節は、おそらくは「あまり共感してもらえないだろう」と思いながらも、書き記したのです。それは、読んでくださる方々の内側に疑問を提起するためでした。

“ナグさんのいう『自由』ってなんだろう?”

 もし、昨日の記事を読んで、あなたがそう思ってくれたのであれば、僕の試みは成功したことになりますし、僕と同じ感性を持っているでしょうから、いずれ僕が伝えたいこと、僕が感じているものや大切にしていることに共感してもらえることと思います。

 仮に、そうならなかったとしても、そこにはあなたの価値観があり、あなたの世界があるので、もちろん僕はそれを尊重します。もしそうだったとしたら、“自由について”を語り合える機会が訪れると、それも素敵な出会いかもしれません。

 愛すること、愛されることについては、より深く掘り下げて書いていきたいと思っているのですが、その前にどうしても“自由”ということについて、言葉の定義というか、共通の認識を準備しておきたかったのです。

 「自由」という言葉と聞いたとき、あなたはどんなふうに感じ、どんな思いを抱くでしょうか?

 愛することや愛されること、恋愛関係や夫婦関係、親子の関係、あるいは友達同士の関係などにおいても、相手を大切に思うあまりにその関係に生まれてくる束縛感や閉塞感、いうなれば“不自由さ”があるのです。

 愛を実感することや、愛を分かち合うこと、共に愛を経験することは、素晴らしいことのはずなのに、愛するが故に苦悩してしまう、という体験をされている方も多いと思うのです。

 自分の意思で、自分の選択で、できること。
 そして、誰の自由も侵害しないこと。

結論から言うと、これが僕の思う「自由」です。

 「愛することしかできない。」という昨日の記事の言葉は、この僕が考える“自由”に基づいています。誰かを好きになることや、愛情を抱くことは、誰かに制限されるものではありませんよね?“好きになること”や“愛すること”そのものは「自由」なのです。

 しかし、相手の自由を尊重しないのであれば、それは“自由の表現”から外れてしまいます。

 誰かのことを好きになれば、その人にも自分を好きになってもらいたい。と、そう願うのは自然なことです。しかし、その思いが強くなりすぎて、相手の自由を侵害するようであれば、それは二人の関係を良いかたちへと導いてはくれないでしょう。自分本位になってしまうと、そこには少なからず葛藤が生まれてくるのです。

 誰かを好きになること、誰かを愛せること。

 このこと自体はとても尊いことです。人生の中で、本当の意味で「誰も愛することができない」ままに、その生涯を終えることももしかしたらあるかもしれません。

自分にできることと、自分にはできないこと、つまり相手が選択/決定することを分ける。ということが、この“自由”には大切になるのです。

 相手に自分のことを好きでいてもらいたい。と、そう思うばかりに、途端に自由が失われ、与えられている喜びや機会という人生への贈り物を見失い、相手を自分の思う通りに動かそうという支配的な望みや、利己的な思いに、まさに自分自身が縛られてしまうのです。

 冒頭の引用で、“愛することしかできない”、でも希望は失われてはいないと記していますが、“自由”ということが理解できたとき、相手を思い通りにしようという苦しみから解放されたとき、あなたの目の前に、それ以前にはなかったより開かれた“希望”が現れるでしょう。

 「反対側から考えてみてごらん?」ということを僕はよく、相談を受けたときに、投げかけてみるのですが、そのときにその反対側が想像できない(想像したくない)というケースがまれにあります。

 “相手を思い通りにしようとすること”を逆に考えると、自分が誰かに選択の自由を奪われている状態、ということなのですが、そのことが想像できない、ということがすでに“不自由”な状態なのです。

 その不自由さから解放されるためには、相手の存在が必要不可欠になってしまう。そうなるとお互いに縛られた状態へと陥っていくのです。

 恋愛においては、相手を束縛することや相手に束縛されることは、「愛情表現の一つの形」ともいえるでしょう。一見「束縛系の彼/彼女」であっても、お互いの中でどのような心の思いがあるのか?によって、二人の関係性は変わってしまうのです。

 それが「お互いの自由」(な選択)をもとに、成立しているのであれば、他人がとやかくいうことではないのです。

 この“自由”について、この話は恋愛に限らず、いろいろな人間関係や、仕事など自分のキャリアのことなど、さまざま場面であてはめてみることができます。

 「あなたは今、自由ですか?」

 そう問われたとき、あなたはどう答えるでしょうか?

 一見、外から見たら不自由に見えるとしても、“自由”とは、本人の心の在り方と選択によって決まるもの、つまり“内的な体験”なのです。

あなたが、

「私は、今、自由です。」

といつでも胸を張って答えることができると良いですね。

そして、僕自身もいつもそうありたい。と思っています。

“Yes, I hope so, too" 

読んでいただき、ありがとうございました✨😃
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