霜月、今年もあと2ヶ月
ナグです。
毎年のことですが、11月くらいになると「ああ、今年もあと少しだな。」となんとなく思うようになります。
個人的には、お盆の頃に入院、手術を経験して、振り返ると自分の健康状態とか、考えるきっかけになった一年かな?と感じています。
『メンテナンス』という感じなのでしょうか?変化の時期というのでしょうか?健康のことだけに限らず、いろいろな分野、場面において、見直したり、振り返ったりを繰り返しながら、良いところはより発展を目指し、よくないところは改善をしていくものなのだろうと思います。
世の中を見ても、先月27日に衆議院選挙があり、自民・公明の過半数割れ、ニュースなどを見ても「15年ぶりの自民党大敗」というような見出しもありました。
2020年からの3年を経て、世の中のいろいろなことが“うまく行っていない”ということが、浮き彫りになってきているように感じます。
個人的なこと、世の中的なこと、このどちらにも言えることなのですが、こうした不調和が露呈してくる時、というのはていねいに見て、“改めるべきは、改める”という機会を与えられているのだろうと思います。
とはいえ、人間は「こうなっていると安心する」というような感じで、変化を求める面がある一方で、“今まで通り”であることに安心する、という面もあるなと思います。
“習慣”というものは、良いものもあれば、悪癖のようなものもありますよね。なかなか「わかっていても・・・」という感じでね💦
「穏やかに、感謝と共に日々平穏に過ごす」ということは、スピリチュアルな視点に立つと理想として挙げられることの一つかもしれませんが、それとともに、喜びを拡大していくことという魂の望みがあり、ゆるやかでもよいから、自分自身と、そして関わる人たちの間での幸福を、小さくても良いから積み上げていくこと、それを続けていこうとすることが大切なのだろうなと感じています。
目に見えることや、現象として現れてくることは、意図や想いの結果であり、その背景にある想いに目を向けていくことを大切にしています。
僕たちが、教え込まれてきたことは「結果を出すための方法をどうみつけるか?」みたいな、もっと平たく言うと、正解を出す、間違えないということが大切なことのように伝えられてきたのかもしれません。
「損か得か?」というような損得勘定や、「正しいか間違いか?」というような、よくスピリチュアルで言われるようなジャッジとか・・・。
間違うことを許さない、というような世の中の風潮というものが、私たちをお互いに監視し、縛り付けるようなところがあるのだろうと、個人的には感じています。そして、できることであるならば、失敗は成功のもと、という言葉があるように、それが一つの体験として受け入れられるような心の状態を保っていきたいなと思います。
もちろん、「失敗できない場面」と言うものはあると思いますし、どんなときでも“うんうん、失敗しちゃったね。次うまくやればいいよ”というわけにはいかないところもあると思います。
ただ、僕自身は「知らない」ということは、“悪”ではない。と思っていて、知らなかったことを知ることができる、という喜びは、子供の頃に誰しもが持っていたものではないでしょうか?
「こんなことも知らないの?」
と、どこか馬鹿にされたような物言いで、言われてしまうこともときにはあるかもしれないですが、知ったかぶりをして虚勢を張る必要などない方が、やっぱりいいのでしょう。
ある人が、こう言っていたことを思い出します。
「権威のある人や、専門家と呼ばれる人ほど“教える”ことが難しい。」
“自分は知らない、わからない”ということ自覚していて、知りたい、わかりたい、という思いを自分の内側に持っている人であれば、素直に耳を傾けることもできるでしょう。しかし、『自分はすでにそのことは知っている』という状態になっていると、あらたなことに気づく感動は薄れてしまうものです。
また、人の心は矛盾しているところもあり、人間の傲慢さとでもいうのでしょうか?自分はわかっている、という立ち位置から品定めをするように、人の話を聞くということも時にはあるでしょう。
でも、冷静に自分や、自分の周りで起こる出来事や、周りの人たちを見ていくと、やっぱり「知らないこと」のほうが圧倒的に多いし、自分にできることというものは、全体で起こる事象からみてみれば、ほんの一握りのことなのかもしれません。
そう言ったことを受け入れつつ、その反対側で自分にできることを大切にして、磨き上げていくことで“自分らしさ”というか、自分の価値を自分自身の体験として、実感できるようになっていく。
“自分らしく”なんて、使い古されている言い回しを使いつつも、そこにたいして、ツッコミを入れている自分もいるわけです。
『でもさ、“自分らしく”って、もっともらしいけど結局どういうことなんだよ。』
という、僕の頭の左上45°のあたりから聞こえる声があったりします。
結局のところ、「これが私です。」と、自分で納得できて、それを表明できることだと思うし、そういったことって開き直りじゃなくて、自分に対してOKを出せているかどうか?ということになっていくのです。
仮に「自分にOKが出せない」としても、自分のことを否定しつつ、他人からの承認や賞賛によって、自分を立たせようとするとそれは結局のところ、誰かに寄りかかっている生き方になってしまう。
至らない自分も受け入れつつ、よいところはさらに磨き、いたらないところは素直に認め省みて、少しずつでも成長していこうと思います。
そして、同じような思いを心のうちに抱いている人たちと、分かち合いながら、支え合いながら、歩んでいけたらそれは素晴らしいことだろうな。
というような思いを持ちながら、これからの日々も歩み続けていきたいものです。
月初め、ということもあって、ちょっと思っていることを徒然に欠いてみました😅
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