見出し画像

言葉の重さ、文字の重さ

 かつて、”文字”というものが、一部の知識を持つ人たちだけのものだった時代。人々にとって本当に大切な知識は”口伝”という形で語り伝えられ、伝承されてきた。

 その伝承を受け継ぐ人も、多くの人から選ばれ、それに値するとされたごく少数の人だったり、家系の中での一子相伝だったりした。

 識字率という言葉があるように、「文字」というものは広く一般的な人々のコミュニケーションツールではなかったし、文字を書くための媒体も、石板や粘土板などであった。古代エジプトなどでは、ピクルス、じゃなかった「パピルス」が文字を書いて残す媒体としては有名である。

 当時、製造工程に多くの時間を要する「パピルス」はとても貴重なものであったし、パピルス以外には羊皮紙などが使われていた。

 時代は流れ、「印刷機」なるものが登場することによって、人々にとって「文字」が一般的なものとなっていくのであるが、文字を読むことはまだまだごく限られた人たちのものであった。

 15世紀ごろ、ドイツのグーテンベルグにより「活版印刷」の技術が確立されたことで、ルネッサンス期のヨーロッパでは、文字による情報伝達が広がりを見せた。印刷物の出現によって、情報の複製が可能になるということは、この時代から人々が触れる情報の量が飛躍的に増大していったということでもある。(ルネッサンス期のヨーロッパにおいて、羅針盤、火薬に並ぶ、三大発明の一つとして“活版印刷技術”が挙げられている。)

 そして、現代においては21世紀を迎える数十年前の”インターネット”の普及による情報革命があり、21世紀に入って20数年経つ現在では、「紙」などによる文字情報媒体よりも、電子情報としての文字媒体が多くなってきていることは、皆さんもご存知の通りだろう。

 人々がコミュニケーションを取る時、言葉、そして文字は大変重要な「情報伝達手段」となっていることは、多くの人が認めることだろう。現在ではそこに映像なども加わり、短い時間でより多くの情報伝達、情報交流が可能になってきているという時代的な背景がある。

 その一方で、言葉を理解する、文字を読解するという、私たち”人間側”はどのように進歩してきたのだろうか?

 言葉や文字を理解する、ということは日常的には主に「コミュニケーション」の場面で大切になってくることだと思う。しかし、人間関係のトラブルの多くはいわゆる”誤解”によって、起こっていると言っても良いだろう。

 現代においては、人と人との心の通わせ方のようなことは、体験的に学んでいくしか方法がないようにも思える。かつては礼儀であったり、道理であったり、そのような部分を年長者が若い世代に向けて諭すような場面もあっただろう。

 そういう意味では、私たちは言葉を扱うこと、文字を扱うことにおいて成長したとは言えないのではないか?と、個人的には感じてしまうのです。

 膨大な量の情報の波が、日々絶え間なく押し寄せてくる中で、自らが触れた情報の価値や意味を吟味する余裕もなく、矢継ぎ早に浴びせられる情報を、処理できなくなっているのかもしれない。

 十分な時間をかけて、”言葉を味わう”というようなことが、もはや許されざることのようになっているのではないだろうか?

 辞書で調べれば、言葉の意味というのは調べることができる、でも言葉というものは、どう言った場面で、その言葉を使う人がどういう思いを表現しようとして使ったのか?ということ、つまり”言葉そのもの”より”その言葉の背景”のようなところに、重要さがあるのだと、僕は思っている。

 どんなものでもそうだけれど、最初のころ、それがどういうものであったか?ということを時には振り返り、その意味や価値、大切さを見つめ直すことって、大事なことだと思うのです。

 あなたの思いを、誰かに伝えるための大切なツールとして…。”言葉”や”文字”というものを、もう一度見つめてみてはいかがでしょう?ていねいに紡ぎ出された文字、言葉には思いが込められていくものですし、想いの込められた言葉や文字はあなたの思いを伝えてくれることでしょう。

それでは、また…。

Youtube「瞑想・BGM」音源配信チャンネル 開設しました。
Meditation,Relaxation,Long time BGM and others ”

ナグさんに関心を持ってくれた方は、「Lit.link」からいろいろ行けます。
https://lit.link/PrimariastoneNag

不定期で配信しています、主にスピリチュアル系がテーマです🎵

電子書籍
『最後の恋 永遠の愛』(Kindle版)
Amazonにて、販売中!

いいなと思ったら応援しよう!