最初の頃、彼女は、そして僕は(stand.fmに絡めて)
stand.fmに絡めて、今日は記事を書きたいと思います。
妻は、僕と知り合った当初、「観察」してたらしいです、僕を。
(今考えると、ちょっと恥ずかしい(笑))
僕の方はと言えば、”観察”されているなんて思ってもいなかったし、自分が発信しているエネルギーワークのことやヒーリングのこと、スピリチュアルなことを評価してくれている人、スピリチュアルなことが好きな人、という感じでした。
自分自身では、自分の中の矛盾にも、そんなに気づいていなかった。今振り返ると、結構ややこしいというか、扱いにくい男だっただろうな、と思います。
「オレを認めろ」的な空気が漂っている反面、「それ以上オレに近寄るな」的なバリアもあったと思う。(まあ、今となっては若気の至りですが)後になって、
『あの頃のナグ さんって、近寄りがたい感じでしたよね。』
と、以前の僕を知っている人は、妻と一緒になって雰囲気の柔らかくなった僕に言ってくる人も多かった。(「当時はとてもそんなこと言えませんでしたけど」と付け加えて:苦笑)
”バランス”が悪い、というのでしょうか、人って基本的には、そのような「アンバランスさ」って、持っていると思うんです。もちろん、完璧な人っていないから、誰もが大なり小なり、そのアンバランスさと上手く折り合いをつけながらやっているのだろう。って、思います。
対男性との関わりで、男特有の”めんどくささ”を痛感した女の人っていると思うし、その男性特有のプライドや傷の(これは男の側の問題なんだけど)反応のせいで、「もう!一体なんなの!!」って、腹が立つ思いをした女性も多いんじゃないかなぁ?
妻が、当時「観察者」の立場をとって、僕に関わっていてくれたことはありがたいことだったと、今振り返って思います。男性は、信頼関係がある程度出来上がってきていたとしても、他の人からのアドバイスってなかなか聞けないところがある。(少なくとも、僕はそうだった。)
相談の中で(あ、ツインソウルの関係のね)、「相手のことを思って」もちろん、良かれと思って女性が言ったこと、表現したことが、男性の心の琴線に触れてしまって、途端に彼の態度が変わることがある。そして、女性の側は彼に何が起きたのか?がまったくわからないまま、どう軌道修正していけば良いのかを悩んでしまう。
二本の平行に並んだ線も、ちょっと角度がずれてしまうと、先に進むにつれてどんどん離れていってしまう。(そして、いわゆる”サイレント期間”に入ってしまうのだろうけれど。)
軌道修正、微調整というか、「人間関係」って生物(なまもの)だから、瞬間瞬間に対処することって大事なんだけど、これって難しいよね。お互いに感情が収まらなかったり、あるいは一方が気づいていなくて、すれ違ってしまったり。
最近の映画で『花束みたいな恋をした』って、映画。
僕はまだ観ていないんだけど、知り合いの女性からこの映画を見たっていう方の話を聞いたので、観たいなと思っているんですが・・・。
映画のネタバレを妻が聞かせてもらったみたいなんです。
すれ違っている、ということにその時に気づけないから、すれ違っちゃうわけで、もし、どちらかが気づいているならそして、静かに気持ちをそっと表現する方法を身につけていたら・・・。”即時軌道修正”も可能になるんじゃないかなぁ。なんて、思ったりもするんですが、自分が傷ついていて、その傷が深すぎたり、すると、感情的に表現しちゃったりすることってありますから。
よくコミュニケーションは「キャッチボール」に喩えられますが、ドッジボールになってたりしてしまいますよね。
今、振り返って思うことは、当時妻が「観察」してくれていなかったら、今一緒にいないだろうし、それまでに出会った人たちに対しても、僕はそういう意図はなかったにしても、たくさん気づかないうちに傷つけたり、傷つけられたりしてきたんだな。という思いが出てくるのです。
その経験のすべてが「今の僕と、妻との関係」に、お互いに自分に対して、相手に対して素直で正直であるために、”観察”することの大切さを気づかせてくれるのだと感じています。
それでは、また・・・。
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