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2022年始にあたり、これまでとこれからと。

 ”一年の計は元旦にあり”という言葉がありますが、お正月の三が日の間、ゆったりとした時間の中で、「これまでとこれから」を考えていました。

 『今年の抱負』というかしこまったものではないけれど、振り返る中で、あらためて思い出したことや、新たに、こうしていこう。とひらめいたり、ゆったり過ごす中で意味のある時間を持つことができました。

 振り返ると、僕自身がスピリチュアルなことをブログなどで発信し始めたのは2006年の頃から。今の妻とは2008年に出会い、昨年の11月には、二人でやってきた”Primaria☆Stone”も10周年を迎えることに・・・。

 知り合った当時は、ごく普通に宇宙系の話や、天使系の話、自分のガイドからのガイダンスやメッセージのことなどを話していたのですが、いつの頃からか、そういったことを、僕はあまり話さなくなっていました。

 スピリチュアル系の話は(もちろん、他の話でも言えることですが)、気をつけて表現しないと、受け取った方が調和や統合ではなく、分離に進んでしまう、つまり受け取り手の”選民意識を刺激してしまう”場合もあるという危惧があったわけです。

 スピリチュアルな体験は、内的な、ごく個人的なもので、しっかりと内的な吟味がなされ、それにともなう体験が合わさって、普遍的な教えや導きへと変容するものなのですが、その体験の初期の段階で、それが”選民意識”へと変容することもあるのです。

 かつて、自分が描いた理想や自分が大切にしている信念とはまったく違う方向へと、関わった人たちが進んでいくことを、自分の責任のように捉えてしまった僕がいました。

 その葛藤の中で、僕なりにさまざまな気づきを得ていくことになったわけですが、一人ひとりの体験を尊重する、というのは時に自分の傲慢さと向き合うことにもなります。

 振り返る中で、今の妻との出会いから、彼女の僕に対する関わり方を見つめ直すことになりました。

 理論や理屈や、そんなものでは人は心を開くことはできない。それが正論であれば、尚更。傷ついた心が求めるものは、瞬時に傷を癒す特効薬ではなく、痛みを理解し、寄り添ってくれる心なんだ、と。

 見えないけど、確かにあるもの。

 そういったことに触れていくのが”スピリチュアル”だと僕は思っているし、ちょっとしたことで不安定になってしまう人の心って、科学では納得できないものがあるということは、多くの人が共感してくれるだろうと思う。

 僕が今の妻をあの当時、”これからの人生のパートナー”に選んだのは、彼女はいつでも、理解と共感と希望を携えて、そばにいてくれたからだった。
(そして、その前に彼女が僕を選んでくれていたからでもある。)

 大切な話や、大事な話は、難しかったり、耳の痛いこともあったりする。

 ”正解が欲しい”という気持ちはよくわかるけど、本当のところは、正解よりも、共感や理解だと思う。そして、希望を持てること。

 理解や共感という支えの中で、希望を胸に抱き、そこから、「次なる正解」を創造することができるようになるのだろう。

 明るい気持ちでいられるように、分かり合えたという感覚が生まれるように、なんとかなるかもしれないね、いい感じでいけそうだね、と互いに思えるように。

 2022年からは、そんなことを大切にしながら、気持ち新たに、歩んでいきたいと思っています。

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