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健康に対する新しい認識12『食うべきか、食わざるべきか?』

 昨年春にLIFEWAVE®︎の製品に出会って以降、健康についていろいろな角度で調べながら、自分なりにも実践していくなかですっかり友人から「健康オタク」という称号をもらうに至ったナグです(笑)。

 自分では“健康オタク”というつもりはないので、それなりのささやかな不摂生などもあるのですが・・・。

 “健康”について、多岐に渡り調べていくと、人間の歴史や生物進化の歴史という壮大な物語を垣間見ることができます。

 「時代」なのでしょうか?“食”について、意識的に考え、取り組み、自分自身の健康に気を使う人たちも、2020年を過ぎてこの3〜4年の間に増えてきたように思います。(一方で、自分の健康は「医者任せ」というかたもおられるのですが、医者とて全てを知っているわけではない、ということはこの数年で完全に露呈しましたからね💦)

 スピリチュアルな話の中で、時折「デトックス」が話題になることがあります。“排毒”ということなのですが、これは肉体的にも、精神的にも言えることで、僕自身はよく、色々な話の中で

『出すが先』

ということを、お話しします。

 健康上の悩み、人間関係の悩み、願望を実現することへの悩み、経済的な悩み・・・、いろいろなお話を聞く立場であるので、限られた時間の中で、少しでもいいから相談に来られる方の「認識」を揺さぶり、今までとは違う方向へとシフトできるように、とあらゆる方法で働きかけていくのです。
(もちろんそれは姿見えざる存在たち、霊的な存在の助力を願い、共同作業の上で進められるのです。)

 感情的、精神的なデトックスについては、今回の記事のテーマではないので、それについてはまたの機会に稿を改めて話していきたいと思います。

 今回のテーマは「肉体的な健康」ですので、そちらに焦点を絞って、進めていきましょう。

 これは、一般的な印象なのですが、健康について意識をし始めるとき、多くの場合「何を食べるか?」にまず、意識が向くことが多いのではないでしょうか?お昼のワイドショーなどで紹介されたから、とある特定の食べ物が極端に品薄になることって、よくありません?

 これはいろいろなことにあてはまる「前提」として、

「今あるものを出すことで、新しいものを受け入れるスペースができる」

ということの象徴として、僕はよく「出すが先」というふうにいうのです。

 こと、体の健康について言えば、特に意識をしていないときは色々と取り込んでしまった体の健康についてあまりよろしくないもの、が体内に蓄積してしまっているわけです。そして、日々の食生活のなかでも、毎日「あまりからだによろしくないもの」を繰り返し取り込んでいる。

 体に良い、と思っていたものが実は良くなかった。

というショッキングな出来事に出くわすことも、こうしたことをテーマにしていると時々出会うんですね。

 僕は基本的に楽天家なところがあるので、そうした「実はダメでした」的なことに遭遇したとしても、“じゃあ、これから変えれば良いね”という感じなのですが、結構こう言ったことがあると、信じていたものに裏切られた感が炸裂して、自分を責めてしまう方向へと気持ちが向いてしまったり、外に対して怒りが向かうこともあるのではないかな?とも、思ったりします。

 で、食の歴史、というものを非常に長い目で見たとき、大昔から人間が食べてきたもの、と最近になって食べられるようになってきたもの、がありますよね?
 そして、かつての〇〇が、もはや〇〇でない、というような状況もあったりします。

 約2ヶ月、このnoteを更新しない期間にも、いろいろと情報をいただくことがあり、健康についてのアプローチについて語られている書籍をいくつか読破しました。
 質的栄養失調のお話もあったり、健康志向の方が“グルテンフリー”と話題によく上がっているスイーツを教えてくれたり、そして、そのグルテンは“レクチン”と呼ばれるタンパク質群の一つ、ということもわかってきて、そのレクチンがもともとは植物の対捕食防衛目的のために進化の中で生成されて、植物が体内で合成するタンパク質だと知ったのです。

 健康志向の方で、残留農薬を気にされる方は多いのですが、こう言った話を聞いたことがあります。

 「無農薬で育てられて、ちょっとくらい虫食いがあるキャベツの方が安心できる。全く虫が食わないものって、農薬まみれのような気がするよね。」

という言葉に対して、

「でも、あんまり虫食いが多すぎると、そのキャベツは食べない方がいいよ。キャベツも虫に食われないように、毒を作るから。」

と。

 そりゃそうですよね。どんな植物だって生きているわけだし、自分を「喰おうとする敵」なわけですから。(その多くは虫なのだが、動物もおなじであることにはかわりはない。)

 動物のように走って逃げたり、暴れて抵抗したり、ということはしないけれど、彼らなりの自己防衛、というのもはあって当然だと思うわけです。

 こう言った観点は、普通に生活していると全く抜け落ちているので、(人間は当たり前に植物、野菜や果物を食べるので)「彼ら」が生命である、生き物である、という重要な事実をすっ飛ばして考えているところがあるなぁ、と思い知らされたわけです。

 つくづく人間は「自分サイド」しか見ないものです💦

 健康について、という話の中で僕も妻もスピリチュアル畑の人間なので、重要視しているというか、重きを置いて参考にしているもので、エドガー・ケイシーのリーディングに記されている「霊的、肉体的に好ましい食事」というものがあります。

 どういう食材をどのように食べると、肉体的そしてさらには霊的に「健康」を保つことができるのか?という観点なので、一般的ないわゆる健康についての、医学的な観点からの“常識や一般的な認知”とは違うこともあったりするのですが、ゆるめに実践していても、実際自分の体感としては体の調子は良かったりするのです。

「ケイシー療法」として、知られていて、それに関するケイシーのリーディングに基づいた書籍も多くあります。

 「質的栄養失調」の話から、グルテン、レクチンと自分の興味や関心のテーマが変遷してきているのですが、そのなかで、植物と人間、生命進化の歴史、微生物(腸内細菌叢)との共生関係など、興味の幅が広がるばかりです。

 腸内環境や腸内細菌叢の話になると、「常在菌」ということにも話が広がっていきます。腸内だけじゃなく、人間の皮膚にも常在菌はいるので、この数年の「徹底的な消毒を!」という世の中の風潮も疑問に思うところではあります。

 目には見えないけれど、「小さな隣人」が、私たちの体にはたくさんいるわけですよね。そうした「彼らのための環境」を整えることは、自分自身の「体」の状態にも関連してくるわけで、そういうことを知っていくと、「偉大なる隣人たち」への想い(あ、これはスピリチュアル的な視点の霊的な存在、導き手というニュアンスね)だけではないな、と思うのです。

 話がいろいろな方向に進んでしまうのですが、この2ヶ月、そして、最近の2週間で個人的には食に対する意識がかなり変わってきていまして、今後また自分自身の実践報告のようなことも含まれるかと思いますが、記事を更新していきたいと思います。

 それにしても、「何を食べないようにするか?」のほうが、「何を食べるか?」よりも重要な時代になってくるとは・・・。という思いがありますが、昔と比べると「食」そのものの意味が大きく変わってきた、という背景があると思います。

 古来、食べることは、そのまま生きることでした。

 現在は、食べることは、一部、「楽しみ」になっていますし、食べ物を作ること(生産すること)、提供することは「利益を得るため」の経済活動としての側面が強くなってきている事実もありますよね。

 そういう観点を持ちながら「考える」ということをしないと、まず、この記事のタイトルの

「食うべきか?食わざるべきか?」

という考えには至らず、容易に手にできるものでいっときの空腹を満たす、ということを繰り返すことになるのだろうな、と思うわけなのです。

 いわゆる『オーガニック』の落とし穴だったり、全粒粉健康神話の崩壊だったり・・・。自分の中でいろいろと価値観の変わる体験があって、それはそれで楽しいと思いながら、調べてみたり、発信したり、ということをしている次第であります。

 語り口調の拙い記事が、読んでくださる方の気づきや楽しみや発見につながると幸いです。

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